債務貨幣システムからの脱獄

私たちは鎖に繋がれている。

「生活」という鎖に。

この場合「生活」とは、「普通に生きる」ことを指している。

ただし、何が「普通」か?

それは人によって大きく違っている。

例えば、明日の「生活費」に事欠き、それでもなんとか工面して生きる「生活」も、まぁ普通の生活だろう。

あるいは、プライベートジェットでプライベートな島へ飛び、そこで豪華ヨットでクルージングを楽しむ。これも、ある人々にとっては、「普通」の生活だ。

アマゾンのジャングルの奥地で着の身着のままで暮らし、雨露をしのぐだけの小屋を立て、自給自足の暮らしをしている人々にも「普通の生活」があり、ニューヨークの超高層マンションの最上階に暮らして、摩天楼の灯りを見ながら、年代物のワインを楽しむ富裕層の人々の暮らしも、それに慣れてしまえば「普通の生活」だ。

皆、自分の今と明日の生活を維持しようと一生懸命に生きている。今日よりも明日、明日よりもあさっての暮らしが良くなるようにがむしゃらに生きている人々でさえ、「生活」というレベルで見れば、皆「普通の暮らし」を送っている。

それぞれが「生活」を守るために仕事をし、「生活」を維持することができれば、その仕事は正当化される。そして、仕事を正当化するだけではなく、仕事と生活に価値さえ見出すだろう。その価値観は仕事を正当化し、生活を続ける支えになる。

あるシステムの中にいる限り、そのシステムの欠陥は見えない。たとえシステムの欠陥が見えたとしても、その欠陥が自分の「生活」に害を及ぼさない限り、人はシステムの欠陥を無視することができる。なぜならば、その方が「生活」を変えなくて済む、つまり楽だからである。

このシステムの辺境にいる人々にとっては、話は大きく違ってくる。

システムは変更できるか

債務貨幣システムを変更できるだろうか?

いまのところ、できないとしか言いようがない状況だ。

債務貨幣システムの欠陥は明らかである。それにもかかわらず、その欠陥システムが強固に存在し続けるのは、そのシステムが権力に分かちがたく結びついているからである。権力とは、法であり、物理的な力、すなわち暴力機構である。法を犯さず、暴力機構に逆らいさえしなければ、逆に法と権力に守られて「普通の生活」が保証される。現在のシステムの中に生きる人々にとって、このシステムの変更を求める動機がない。否、多少の疑問はあっても、むしろ欠陥システムの恩恵を受けていると言ってもよい状態だ。

しかし、欠陥システムがひとたびその「普通の生活」に害を及ぼし、その害悪が耐え難いレベルになれば、法も権力も、自分の生活にとって不必要であるばかりではなく、排除すべき対象となる。特に、欠陥システムの辺境で生きる人々にとっては、そもそも、その欠陥システムから何の恩恵も受けていなかったのだから、「普通の生活」を犯されることは、そのシステムが自分たちの目の前の敵として立ちあらわれることと同義である。逃げるか、戦うか、自滅するか、それ以外の選択肢はない。

ここにおいて、先進国に生きる人々と、第三世界あるいは第四世界に生きる人々との間に、深い相克が現れる。これは債務貨幣システムを維持する権力にとって、好ましい状態であると言える。権力の源は、争いにある。権力は争いを好む。divide&ruleは統治の原則だ。争いのタネを蒔き、つながりのあるところへクサビを打ち込む。これが古代からの一貫した帝国の統治術だ。

世界人口75億人のうち、先進国人口は16.7%12億5千万人、開発途上国人口は83.3%62億5千万人(2017年)である。富と軍事力と法を握っている12.5億人が62.5億人を債務貨幣システムによって支配している。国民一人当たりの所得は最高がスイスで8万2千7百ドル、最低はエチオピアの355ドル(2015年)である。1日当たりで計算するとスイス人は2万2千650円、エチオピア人は1日当たり97円となる(為替レートを考えずに、単純に1ドル100円で計算した)。

そのほかの社会・環境指標を見てみよう。

貧困ライン以下の生活を送る人口割合:マダガスカル(87.67%)、リベリア(83.76%)

就学平均年数(年):ブルキナファソ(1.4年)、ニジェール(1.5年)

満一歳未満の死亡率(1000人当たり):シェラレオネ(87人)、ナイジェリア、レソト(69人)

満5歳未満の死亡率(1000人当たり):中央アフリカ(130人)、シェラレオネ(120人)

栄養不良の状態で生きる人口割合:ハイチ(53%)、ザンビア、中央アフリカ(48%)

安全な飲料水を利用できない人口割合:モザンビーク(49%)、アフガニスタン(45%)

トイレがない人口割合:ニジェール(89%)、マダガスカル(88%)

妊娠・出産時の妊婦の死亡率(出産10万当たり):シェラレオネ(1360人)、中央アフリカ(882人)

医師などの補助なしでの出産の割合:エチオピア(84%)、ハイチ(63%)

出産時の母の年齢15〜19歳(1,000人当たり):ニジェール(204人)、マリ(175人)

避妊の普及率:ギニア(6%)、ガンビア(9%)

乳幼児へのはしかワクチン接種率:シリア、ハイチ(53%)、イラク(57%)

結核罹患率(10万人当たり):東ティモール(498人)、ナミビア(474人)

教育も満足に受けられず、よって世界の全体構造など知る由もなく、赤ちゃんの8%くらいは1年未満で死亡、13%は5歳未満で亡くなる。人口の半分は栄養不良であり、安全な水を飲めるのは約半数で、それ以外の人々は汚染された水を飲んでいる。90%の人々には満足なトイレもなく、女性の1%は妊娠または出産の際に死亡する。妊婦の半数以上は医師・助産師なしで出産し、妊婦の20%近くは15〜19歳である。避妊なしでセックスをし、はしかワクチン接種は乳幼児の約半数のみであり、国民の0.5%は結核に罹っている。

先進国の国民は欠陥システムの法と権力に守られ「普通の生活」を送り、第三世界の国民は、欠陥システムの直接の被害を感じることなく侮辱的な、あまりに侮辱的な「普通の生活」を送っている。これが世界の姿である。

この絶望的な現状を目の前にして、何ができるのだろう。

再び「システムは変更できるか」

カゴの中の鳥は、カゴの中で、カゴの中にいる状態を変えることができるだろうか、と問えば、それは不可能なことだと答えるしかないだろう。「政権と企業と銀行」が一体となって作った檻(コーポレートクラシー)の中で暮らす人々が、この檻を壊すことができないのと同じで、不毛な努力に終わることだろう。

例えば、中央銀行制度(準備預金制度)の欺瞞を分析し、その欠陥を明らかにし、その上でできることすなわち、国民一人一人の自覚のもとで、制度を民主化する(政治議題に上げる)路線で、制度(檻)を変革することは可能だろうか?

あるいは、この欠陥システムの内部情報を暴露し、そのことによってシステム内で生き続ける人々にショックを与え、大きなため息をつかせたところで、人々の魂を動かすことは可能だろうか?それが、この社会を変革に導くまでに大きな運動となるだろうか?

現在の債務貨幣システムと近代の工業化社会の世界観とは分かち難く結びつき、「競争原理」「永続的な経済成長」神話に基づいて蔓延してきた。債務(負債)と債権との関係は、債務に基づく倫理観をも生み出してきた。「約束を守ること」は「正しい」人間(債務返済をする人)の条件であり、それを破るものには「罰」が加えられる。すなわち、担保は没収され、人質(女性・子供)は奪われ、その債務に応じて肉を切り取られる(ローマ十二表)ことさえ、許されてきた。「金を返せなければ、角膜で払え!」「腎臓で払え!」「血液を売れ!」

檻の中から、檻の構造を変える運動は、アメリカ合衆国内での黒人の公民権運動のような結末を迎えるしかないだろう。つまり、黒人の人権を向上するという運動は、システムそのものの変革を目指すものとはならず、システムを認めた上で、その中での地位の上昇運動に止まらざるを得なかったのである。黒人はそのために大変な努力をした。システムに合わせて、その中で上位を占められるように、己を変え、それに一定の成功を収めたものが、地位向上を果たしたのである。その他を置き去りにしつつ。その他には、多くの黒人はもとより、インディアンが含まれる。したがって、こうした運動では、当然、アメリカ合衆国の外にいて、アメリカ合衆国のシステムにより隷属させられている、犠牲者も視野には入ってこなくなる。つまり、こうした体制内向上運動は、そもそも檻そのものを変革する力など持ち得なかったということだ。

アメリカ合衆国の奴隷解放運動とは、奴隷にかかるコストの削減運動だったと言える。奴隷は古代地中海世界では「ものを言う道具」といわれてきたが、毎日毎日食べさせなくてはならない。高い金を払って手に入れた奴隷ならば、当然元を取らなければならない。働かせてるためには、毎日3食食べさせなければならない。それに寝るための寝床や布団、それに衣服も与えなければならないし、健康にも気を使わなければなならない(奴隷が健康を損ねたら割に合わない)。奴隷は主人にとって、とてもコストのかかるものとなってしまった。そこで、考え出されたのが、自ら生活し、新たな奴隷(子供)を自主的に生産してくれる、労働奴隷(サラリーマン)に変更することだった。自ら夢を持って自主的に喜んで働き、金(税金)を払い、文句を言わない。自分たちを奴隷とは思わない。自分たちが自分たちの主人であるという幻想(立憲主義と民主主義)さえ抱く。しかし、本当の主導権はあくまで主人が握ったままだ。

脱獄の方法

無断でする。これが脱獄の第一原則である。脱獄は内心の出来事だから、これはうまくいくかもしれない。

脱獄することを悟られてはならない。できれば、脱獄したことすら悟られてはならない。

当然、脱獄が明らかとなった場合、このシステムは逃走した奴隷を捕縛し、罰を加えようとするだろう。しかし、刑罰を恐れる必要はない。このシステム内に存在することがそもそも罪であり、罰であるから。

脱獄する場合の唯一の所持品は希望である。

脱獄の利点は、監獄がよく見えるということだ。

水の中で生きる魚に、水とは何かと問いかけたところで、魚は水についてよく知らない。というか、知る必要すらないだろう。水の中で生きるように適応して生きているのだから。それは債務貨幣システムの中で生きる私たち人間にとっても同じことだ。お金とは何かを知らなくても、現行の債務貨幣システムに適応して生きている。だがひとたびその腐臭に気づいてしまったものにとっては、空気は耐え難いものとなる。しかし、その空気を我慢して吸って生きて行く。そこから逃れる方法がない以上、また腐った水の中に戻って行く魚のように。

そのように生きているものが、ひとたび監獄の外に出る事ができたら、その腐敗ぶりに驚くことだろう。カネ、カネ、カネ。富、性欲、権力欲、すべてのものがカネに収斂してゆく。全てにカネが絡みつく。