平成29年10月22日衆議院議員選挙の結果と日本国民の選択

平成29年9月28日、安倍晋三首相によって突然解散された衆議院の選挙が平成29年10月22日に行われた。「国難選挙」と銘打たれた選挙。「国難」に対する国民の関心度は低い。「国難」と言っても、モリカケ隠しの解散だろうと揶揄される所以である。

国民の関心度の低さは、投票率に率直にあらわれている。小選挙区比例代表合わせた投票率は52.35%であった。(下の図表を参照)

全議席の64%を確保した自由民主党を国民の何割が支持したのか?

21%である。公明党と合わせても、国民の4分の1(25%)の支持者によって、総議席の70%を占めるという異常な事態が出現しているのである。

選挙を棄権した人々の意思はわからない。暗黙のうちに自由民主党を支持したのか、不支持を棄権という行動で示したのか。日本国民の半数弱の人々の意思は不明のままである。

強烈な独裁政権でもない限り投票率が100%に近づくことなど期待もできないが、それでも有権者の半数近くの人々の意思が示されていない選挙により、自由民主党+公明党の与党が獲得した議席は、合わせて310議席。総議席の7割を占めた。代議制民主主義の政体を奉じる日本としては、それでも、この結果を正当なものと認めざるを得ないのだろう。とすれば、その結果を日本国民は責任を持って引き受けるしかない。

確かに、野党に政権を任せるわけにはいかない、あるいは、日本の舵取りを野党に任せて痛い目を見たというトラウマがまだ日本国民の間に相当残っているだろうことは容易に想像できる。現実をみれば、そうした日本国民の意識を前提として考えなければいけない側面もあるには違いない。そうであるならば、今回の選挙結果が、これからの日本にどういう影響を及ぼし、どのような未来を招来するか、そうした考察の上に立って、今後の私たちのあり方を考えざるを得ないのではないか。

●アベノミクスの将来に身を託すということの意味

10月28日の「長周新聞」に次のような記事が掲載されていた。

「安倍政府が解散総選挙を発表した直後から株価が異常な上昇を見せている。27日には2万2000円をこえる最高値を更新し、1996年以来の高値をつけた。シャープの身売り、東芝の破綻につづいて、日産がCM通りに「やっちゃえ、日産」をやってしまい、神戸製鋼はデータ改ざんが明るみになるなどマイナス要因が飛び交うなかで、株価だけが根拠なき熱狂を演じているのである。消費増税で個人消費も落ち込み、景気回復の見通しはないにもかかわらず、なぜ株価は実態とかけ離れた動きを見せているのか疑問が広がっている。一連の株高のメインプレイヤーは「異次元の金融緩和」を続ける黒田日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)であり、原資は国民の資産である。この出口戦略なき日銀の量的緩和によって、市場に垂れ流されたマネーに投機集団が群がり、官製相場に守られて束の間のバブルに興じている。しかし、はじけ飛ぶのは時間の問題で、いずれリーマン・ショックどころでない金融崩壊をもたらすことが危惧されている。」

下の図表は日経平均株価の動向を2010年から2017年までの値動きを表している。最新の株価は図表左軸の上限である2万2千円を超える勢いを見せている。これが実態の企業実績を反映したものでないことは、上の記事にあるように明らかであろう。

日銀による量的質的緩和策によって、株価上昇局面が作り出されていると言って良い。しかも、この株価上昇はバブルと化している。

そもそもが、日銀によるQE策(異次元の金融緩和)は、米国FRB連銀の動きと見事な連動を見せている。日銀とFRB連銀は協調して金融政策を実施している。その明らかな証拠は、FRBがQE策をやめる動き(2013年12月)と、日銀がQEを開始した時期(2013年4月)が見事に一致していることからもわかる。日銀がQE拡大を発表する2日前、米連銀がQEをやめた。米国のQEを日本が引き継いだといえる。

アメリカの株高について言うと、資金が流入しないと株価は上がらないのに、資金が流出する中で株価が上がっている。誰が株を買っているのか? 答えは「日欧の中央銀行」である。日欧の中央銀行は15年以降、デフレ対策と称するQE(量的緩和策)によって債券や株を買い支えてきた。なぜこんなことになったのか。歴史的な経緯を見るとわかることがある。出発点は、債券(社債、ジャンク債)のバブル崩壊(金利高騰)である08年のリーマン危機だ。1929年の世界恐慌を第一次とすれば、第二次世界大恐慌とも言えるリーマン危機を米日欧の中央銀行は対症療法(金融緩和)によって治療する他に有効な処方箋を持っていないことが明らかになった。

このことが意味するのは何か。日本国民の金融資産の限りないリスクの上昇である。現在のバブルが崩壊すれば、トランプの米国インフラ投資策に巨額の投資をする方針を決めたGPIF(日本の年金基金=年金積立金管理運用独立行政法人Government Pension Investment Fund)は、長期的にみて必ず再来するであろう米経済の金融崩壊の中で、大損する危険を抱えている。

アベノミクスとは、安倍政権を支えるために、日本国民の金融資産を危険に晒すものである。国民もそれを薄々感じているのではないか。だから、誰もこの流れを変えられない以上、安倍政権を続けさせる以外ないと、内心感じて与党自公政権に投票したのかもしれない。そうすると、日本国民も将来必ずやってくる金融崩壊の共犯者であるということになる。日本国民は、意識するとしないとにかかわらず、安倍政権を支える以外の道は思いつかず、あるいは既存政党のどこにもそんな可能性はないと選択したことになる。

したがって、安倍政権に代わる将来の道を探ろうとする勢力が今後、手をつけなければならない喫緊の課題とは、現在に代わる新たな金融政策・制度、思想の提唱である。

悲観論vs楽観論

しかし、ここで大きな悲観的状況の前に茫然自失する。何しろ、日本国民の多くが、現状変更を望んでいないという結果が、代議制民主主義の最大のツールである選挙によって示されてしまったからだ。取りうる道は三つだ。

(1) 将来の危機を予測し、自己保身の道を探る(実質的には既存の対米従属路線の継承)

(2) 「正しい道」を進めるために、強権的なファッショ政権の樹立を目指す(中国の大国化に対抗する強国日本を目指す道)

(3) 国民の覚醒を期待する(3・11以降明らかとなった偽善的日本政府から独自路線を探る道)

(1)の道は、戦前・戦後を問わず、いつの時代でも、多くの人に選択されてきた道だ。これが大多数を占める「一番現実的」と見える路線かもしれない。

(2)の道は、第一次世界大戦後のドイツが選択し、一定の成功ののち、米英欧の連合によって潰された。そして、世界は現在の体制を決定してきた。したがって、日本がこの道を選択することは、即国際連合体制からはじき出される道、孤立の道を選択することになる。

(3)の道は現行の国家体制を信頼せず、人類を信頼し、人類の進化を夢想する道でもある。

私たちは、いずれにせよ、新たな道を見つけなければならない時に立ち会っている。

金融のメルトダウン(ショック・ドクトリン)を利用する

意外なことだが、ショックによって人は目覚めない。あるいは、次のように言い換えることができる。ショックによって人々の行動は催眠誘導される。

イワン・パブロフによる犬を使った実験が示しているのは、動物の身体的反応を刺激によってコントロールすることができるというものです。それは、人間の家畜化によって、犬という動物に対してだけでなく、人間にも応用可能だということが、1950年代のアメリカの秘密諜報機関であるCIAによる実験によって明らかにされました。拷問というショックやその結果の洗脳などによって人間を家畜化し、それによって人間の無意識層をコントロールするという手法です。もちろん、被実験者は自分ことを、誰かに管理された家畜だなどとは思っていません。すべて自分で考え行動していると思わされているのです。それが、このショックドクトリンの巧妙なところです。しかし、そんな催眠誘導されている被実験者でも明らかに意識されているものがあります。それは恐怖です。

例えば、特に日本人は「金を借りたら返さなくてはいけない」「借金を踏み倒すなんて、悪いことだ」と思っています。まあ「借金の踏み倒し」がいいものだとは言えないでしょう。しかし、金を貸す者(特に金融機関)と借金を踏み倒す者の相対論で言えば、それはどっちもどっちなのです。

金を金融機関から借りた直後、やっぱりやめーたと言って、貸借契約を反故にしても、金融機関の腹は一切痛みません。バランスシート上の借方、貸方の両勘定から「貸付金」と「預金」の双方を相殺する勘定手続きで、その貸借契約は解消されるからです。ですから、金を借りること自体に債務が発生するわけではなく、債務を社会に流通させた時点で、実害が金融機関以外に及ぶことになります。

ですから、金融機関は、融資に際して、必ずその融資の支払先を確認し、一度は債務者の口座に振り込んだとしても、直後に新たな債権者にその融資を移します。そうすれば、最初の債務者は純粋に債務だけを負い、担保は金融機関が取得することになるのです。こうして初めて債務と債権の関係が実物化します。

この「債権と債務の実物化」を通して、債務者は主体的に「借金人間」となるのです。この時、「借金人間」の将来の時間は、その「実物(担保)」と債権者(債務者の時間を取得した者)によって、占領されてしまいます。つまり、「時間」を奪われてしまうのです。これがお金が持つ最後の機能である「支配の道具としてのお金」という機能です。

借金人間が抱く最大の恐怖、それは返済不履行による社会的制裁です。その社会的制裁の具体的内容は「自分の将来の時間を失う」という恐怖につながっています。

この恐怖は金融のメルトダウンによって、一気に社会全体に広がるでしょう。これが金融のメルトダウン(金融崩壊)が持つ社会的意味です。金融メルトダウンはちょっとした恐怖から引き起こされます。ちょっと待てよ、株価は高すぎるのではないか、この先下落するのではないか、という不安だけで、その一抹の不安は「社会的恐怖」に増幅される恐れがあるのです。

通常、こうした恐怖は統治者の支配の道具に利用されるものですが、こうした恐怖の存在とその存在の理由を人々が意識化し、新たな社会制度を構築することで、無効化できる可能性があります。ここに、最後の変革のチャンスがあるのではないでしょうか。具体的言えば、社会で大きな発言力を持つ人による公式見解の形で、金融崩壊の仕組みと予測、対処を表明することです。

あらかじめこうした見解が社会の中で広まっていれば、そのショックが到来した時、人々はその恐怖に惑わされることはないでしょう。なぜなら、あらかじめお化けが出ると知らされていれば、お化けの恐怖は半減されてしまうからです。「そこの角から、こういう格好をしたお化けが出てくるよ」と知らされていれば、お化け屋敷の商売は成り立ちません。そして、出てきたお化けに、「So What?」という言葉は投げつけるだけで、お化けは引っ込んでしまうでしょう。

国家統治の基本は権力です。その権力の本体は戦時にあっては「軍事力」、平時にあっては「法と警察」であるのは自明のことでしょう。したがって、「法」を変革することが、何より国家統治の基本体制を変革するもっとも有効な道です。そして、「法」を変えるのは「政治」であるとすれば、また堂々巡りに落ち込みそうです。

しかし「政治」を変えるのに、言論の力以外に私たちに残された道はないのです。言論と広報戦略、そして最大の強力な仲間は公務員である。この辺の認識に、戦略的目標を置くことは来るべき金融崩壊に対する、変革側からの有効な一打となりそうですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

日銀は金融緩和路線の継続を決めた

平成29年10月22日に、安倍政権の継続が決まったあとの、平成29年10月31日、日銀は政策決定会合において、量的金融緩和政策(QE)の継続を決定した。それによると「長期国債の買入れを行う。買入れ額については、概ね現状程度の買入れペース(保有残高の増加額年間約 80兆円)をめどとしつつ、金利操作方針を実現するよう運営する」ということだ。

現在、日銀はすでに500兆円の国債を保有している。(2017年6月現在)これに加えて、さらに年間80兆円の国債を市中から買入れる。日本政府の国債発行残高は865兆円である(平成29年度末見込み)。日銀の国債保有残高が580兆円となると、日銀の国債保有残高の日本政府国債発行残高に占める割合は67%ととなる。実に、日本政府の国債発行残高の約7割を日銀が保有することになる。

日銀が、これだけの買いオペをして日本社会のマネタリーベースはどうなったか。その推移を表すグラフはこれです。2012年12月に132兆円だったものが、2017年9月現在、471兆円と3.5倍以上に急激に増加している。一方で、マネーストックはどうか。そのグラフはこれです。マネタリーベースと同時期を比べてみると、2012年12月に828兆円だったものが、2017年9月現在、979兆円と1.2倍になっているにすぎません。つまり、銀行のお腹はパンパンになっているにも関わらず、実際に私たちの経済活動で使われている現金・預金はスカスカの状態なのです。つまり、実体経済にお金がまわらず、証券・株式などの「虚の経済」にお金が流れ込んでいる。これが日本の株高の原因なのです。具体的にいえば、2011年の日経平均の株価8,455円が2017年には20,356円と実に2.4倍に跳ね上がっています。(マネタリーベース・マネーストックの具体的なデータはここ

結論として言えることは、「長周新聞」にもあったように、日銀が国債を買ってマネタリーベースを増やした分は、実体経済に循環せず、株式市場に流れているのです。しかも、2008年のリーマンショック直前と同じ値動きを示しています。非常に危うい状況と言えるでしょう。しかも、日銀はこの金融政策を継続すると決定したのです。つまり、どこまでもバブルを膨らませ、崖の近くまで進むぞ、と宣言しているのと同じです。つまり、QEの出口を見つけられないのです。

最善の策と次善の策

何が起こるかを考えましょう。量的金融緩和の出口を見つけられず、このまま突き進んで、バブルが崩壊したら、2008年のリーマンショックどころの金融崩壊では済まないでしょう。村の税収は2009年度の時のようにまた大きく落ち込むでしょう。前回は、量的金融緩和と大手銀行を救うために公的資金の注入で一時的にしのいできました。しかし、今回はその手はもう効かないのです。何しろ、日銀はもうすでに国債の7割を保有し、市中銀行は、お腹がパンパンなのです。しかも銀行自体が低金利政策のおかげで、体力が弱ってボロボロの状態です。同じ処方箋をきったとしても、今度は救われないでしょう。

その結果は、2009年の時にさらに輪をかけた税収の落ち込みが予想されます。失業率の増大、賃金相場の下落、社会的弱者の切り捨て、自己責任論の横行、など今よりささらに酷くなることも考えられるでしょう。

Now thinking・・・