国の債務問題について考える

日本国政府の債務問題について考える。

基本的資料

まずは基本的な資料から提示します。

下の図は財務省のホームページにある『日本の財政関係資料』平成26年2月の15ページにある図表をコピーしたものです。それによりますと、平成24年度末実績値で国・地方を合わせた債務残高は932兆円で、対GDP比率は197%となっています。

経済ジャーナリストの財部誠一さんのホームページの「借金時計」によると、現在(平成29年10月)国・地方の債務残高は1、076兆円になっていました。対GDP比率は199%です。つまり、売上1億円の会社の借金が2億円あるという状況です。さて、これがどういう意味を持つ数字なのか、検討してみることにしましょう。

まず、債務残高がGDPの2倍あるという日本の財政状況は、世界の中で見ると、どうなのでしょうか。そこでOECD諸国で、政府債務残高の対GDP比率のランキングを調べて見ると、100%を超えている国の上位1位はダントツトップで1位・日本(239.27%)、2位・ギリシャ(181.61%)、3位・イタリア(132.62%)、4位・ポルトガル(130.35%)、5位・アメリカ(107.11%)、6位・ベルギー(105.98%)となっています。

欧州債務危機で話題になった、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン(PIIGS諸国)を日本ははるかに凌ぐ数字(239.27%)となっています。

それなのに、なぜ日本はヨーロッパのこれらの国々のように騒がれないのでしょうか。日本の財政状況に対する国際的信用は失われていないのでしょうか?

その理由を考えて見ると、一つには、日本の債務残高の多さが、まだ他国に迷惑をかけていないこと、が挙げられるでしょう。IMFの支援を受けているわけではないし、中国、韓国、台湾、フィリピン等近隣諸国に迷惑をかけていない、ということは言えるでしょう。そして、その債務の相手、つまり債権者が日本以外の国の人ではなく、貸し手が日本国内に留まっている、ということも言えると思います。

誰が日本政府に金を貸しているのか?

それでは、日本国内の貸し手、とは誰でしょうか。そんな大金持ちが日本にいるのでしょうか?

実は、それは日本国民自身なのです。

どういうことかというと、日本人は将来に不安を持っているとしましょう。そうすると、将来に不安を抱いている人間は、お金を溜め込みます。つまり、なるべく出費を抑え、貯金をし、万が一のために保険をかけたりします。さらに、将来不安のために老後の年金を積みます。それは、郵便貯金、簡易生命保険、国民年金、厚生年金といった金融機関や保険機構に預けられています。しかし、それらの金融機関、保険機構はただお金を金庫に入れておくだけでは、お金は増えないので、将来の利子の支払いや保険給付金の原資が足りなくなるので預かったお金の運用を考えます。その運用先の主なものが、財政融資資金に回され、日本の国債(財投債)となって、運用され、元利償還されたお金が金融機関、保険機構へと還流するという構造になっています。つまり、日本国政府(地方自治体を含む)は、日本国民の貯金・保険から借金をしているというわけです。これらの融資は財政投融資と呼ばれています。

左の図はそうした仕組みを表しています。(『財政学から見た日本経済』土居丈朗より)

「財政投融資制度」と呼ばれる制度そのものは、何の問題もないかもしれません。これらの制度を管理しているのは、日本政府の財務省理財局です。

ちゃんと貸した金が有効利用され、その資金をもとに利息を含めて元本を上回る効果をあげ、返済されているぶんには、とてもいい制度のように思えます。しかし、この資金が有効利用されず、放漫経営による赤字返済のためにまた借金を際限なく繰り返すようになったら、それはダメです。例えば、本州四国連絡橋公団のように、橋を架けたはいいけれど、通行料収入が思うように上がらず、赤字経営を続けるような状況がつづていても、根本的解決も先送りにされたまま放漫経営をし、累積赤字を続けるような特殊法人に金を貸している、しかも国会の承認まで受けている。こんな状況になっていることを、貸し手である国民にも知らされず、ずっと続ける。しかも、そんな特殊法人は「倒産」もしないのです。なぜなら、キャッシュフロー上は、ちゃんと債務を返済できているようになっているのです。それはそうでしょう。民間と違って、いくらでも借金を積み増しできるのですから倒産などしません。

返すあてもなく借金をし、借金返済のためにまた借金を繰り返し始めたら、最後に泣きを見るのは貸し手である日本国民であるのは明らかです。民間銀行であれば、担保をとり、返済が最終的に滞れば、実物資産を取り上げて行きます。しかし、日本国民は担保も取らず、信用貸しを続けさせられているのです。

日本政府は、最終的に返済不可能となれば、返済不要の資金すなわち税金の増税によって借金を返そうと思うでしょうし、それも限度がありますから、保険料をあげる、貯金金利を下げる、年金給付金を下げる、最後は日銀を使って金融政策を駆使し、インフレ税で借金をチャラにするしかなくなるでしょう。このような債権を普通「不良債権」と呼ぶのです。

日本政府の債務は、国民の債権だから、日本がどんなに借金をしても、国民が不幸になることはない、という議論を展開している人を見かけますが、そんなことはありません。日本国民は知らず知らずのうちに、自分の足を食うタコのような存在にされているのです。

こうした特殊法人が倒産もせずにいられるのは、こうした法人に対して、今度は国民の税金(これは、債務ではないので返済義務はない!)で補助金まで出している始末です。言葉は悪いが、まさに「泥棒に追い銭」です。国民からすれば、何ともやるせない話ですが、日本の法律に守られて、このような状態が続いているのです。

こうした放漫経営を続ける特殊法人が一体どれくらいあるのか?帳簿上の債務超過額で多い方から、簡易保険福祉事業団3兆5千億円、年金福祉事業団8千億円、本州四国連絡橋公団、日本鉄道建設公団がそれぞれ6千億円、住宅金融公庫、国民生活金融公庫がそれぞれ2千億円etc。事実上の累積欠損額は失われるであろう政府出資金を含めると、25兆円(2000年度末)に上るだろうという試算もあります。(『財政学から見た日本経済』土居丈朗より)一体どこに財政規律があるのでしょうか。

しかし、特殊法人ばかりを責めるわけにもいきません。日本に1,800近くある地方自治体、都道府県市区町村の半分近くは住民一人当たりの借金が50万円以上です。100万円以上の地方自治体は230団体、25団体は2百万円以上、全国ワーストワンの汚名をかぶせられたのは、鹿児島県の十島村で、住民一人当たりの借金は710万円以上(債務残高47億円)になります。

話を元に戻しましょう。日本の債務残高は1,076兆円。そのうち、地方自治体の債務残高は約200兆円です。特殊法人も問題ですが、金額からいえば、地方自治体の借金も大したものです。

なぜ、地方自治体の借金はこんなにも多いのか?地方財政の問題を考えるとき、まず地方自治体はお金をどうやって手に入れているのか、その財源のルートを考えてみる必要があるでしょう。

日本国民の金融資産はどのように使われているのか?

地方自治体の財源の問題は『実践 自治体財政の経済分析』(連載1)でも学びました。それによると

「4 お金はどこから来るのか

地方財政の収入はどうなっているのだろうか。統計をみると、多い順から

1 地方税

2 地方交付税

3 国庫支出金

4 地方債

ということでしたね。

図表4・1を見ると地方自治体への資金のルートは4つあります。一つは1の地方税で、これは固定資産税、住民税からなります。そして2の地方交付税は地域による税収の偏在を全国規模で公平な国民サービスが受けられるよう、税源の均一化をはかるために設けられた、ということになっています。そして3の国庫支出金。これは政府の特別会計の補助金。4の地方債は主に財政融資資金による融資です。最近では市中銀行や公募債の比率も上がってきています。これはとりもなおさず金利(利息)の上昇につながるでしょう。

地方交付税と国庫支出金が税収に占める割合はほぼ5割を超えています。地方税収、地方交付税+国庫支出金、地方債の割合は非常に大まかな言い方をすれば4:5:1くらいの割合ぐらいでしょう。つまり地方自治体の財源の半分以上は国からの補助金と借金によって賄われているということになります。

国の補助金の原資である日本政府の歳入の内訳は租税6:国債4の割合ですので、上にあげた4:5:1を言い換えると地方税収4(税金)、5(税金3+借金2)、1(借金)となり、合計すると税金が7割、借金が3割ということになります。つまり地方自治体の財源のうち3割は借金によって賄われている、ということが見て取れるのです。しかも、その3割の借金の資金源は日本国民の金融資産です。ただし、平成8年から平成13年にかけて行われた大規模な金融制度改革(金融ビックバン)の頃から、銀行引受や市場公募債の割合が大きくなってきました。財政融資資金は国民の金融資産が原資ですから限りがありますが、銀行引受や市場公募債となれば、これには限界がありません。これらの債権は日銀の腹づもり一つで、いくらでも増やすことが可能になります。しかしさすがに、地方債残高は平成16年以降、200兆円前後で推移しています。

国の補助金である地方自治体への地方交付税の金額はどうやって算定されているのでしょうか。これも

『実践 自治体財政の経済分析』の「第5章 市町村財源<2>——交付税と補助金」で学びました。おさらいしておきましょう。

***********************************************

  ⑵ 普通交付税の算定方法

  普通交付税額=基準財政需要額ー基準財政収入額

  基準財政需要額=単位費用×測定単位×補正係数

  ただし、単位費用=測定単位(例:市道1メートル)当たりの費用。

  測定単位=その地方公共団体における状況(例:市道総延長100キロメートル)

  補正係数=寒冷降雪の状況等に応じた係数

  いっぽう、

  基準財政収入額=標準的な税収入額+特例交付金の一定割合

  ただし、標準的な税収入額=標準税率によって算定された地方公共団体の法定普通税収等の見込み額に、基準税率(75%)を乗じた額。

***********************************************

普通交付税は上の算式からすれば、基準財政需要額が多くなればなるほど、基準財政収入額が少なくなればなるほど、多くなる、ということがわかります。つまり、こんなに必要なのに、これしか収入がないから、地方交付税はこれだけ欲しい、という主張をすることになるわけです。ですから、財政が逼迫している財務省とすれば、税収を上げる努力をしろ、事業規模を抑えろと主張するでしょうし、総務省とすれば予算を減らされるのは組織の論理に反する(総務省予算のほとんどが地方交付税)ので、財務省と衝突することになります。そのせめぎあいの妥協の産物として地方交付税総額が決定され、それぞれ毎年地方自治体に配分されることになるのです。総務省が地方交付税の予算獲得のために奔走するのは、もちろん地方財政の健全化のためなどではありません。「地方」を自分のもとに管理コントロールしようとしているためだということはいうまでもないでしょう。

それはともかく、このような算定基準で地方交付税が決定されるとすれば、地方財政当局にとって、予算削減するインセンティブはどこに生まれるのでしょうか。事業規模を縮小することイコール補助金の減少につながるのですから、予算削減などできるはずはないでしょう。税収をあげる努力にもいまの制度上では何のメリットもありません。基本的には前年度の予算を踏襲し、地域住民サービスの向上を謳い文句に少しずつ少しずつ事業規模を上げていこうとするでしょう。

改革のレバレッジ・ポイントはどこか?

公的機関と民間企業との違いとは何でしょうか。

その第一は支払いの受け方の違いにあります。

企業はあくまでも顧客の満足度が第一です。顧客が望むものを提供できたときにのみ企業はその支払いを受けるのです。顧客の満足が企業の成果と業績を決定します。

しかし公的機関は違います。公的機関は予算第一主義です。地方自治法第210条には、「一会計年度における一切の収入及び支出は、すべてこれを歳入歳出予算に編入しなければならない。」と規定されています。住民の満足度は、あくまで予算執行の範囲内で住民の不満足度とバランスをとりながら粛々と執行されていけばそれで良しとされるのです。

企業であれば、顧客からのクレームは顧客からの最大のプレゼントとして認識されます。何故ならば、顧客はクレームなどという面倒なことをしなくても、その商品を買わないという消費者行動でその不満足度をもっとも効果的に示すことができるからです。ですから、クレームをつけてくる顧客ほどありがたいものは企業にとってありません。何故なら、ここを改良しろという製品・サービスへのアドバイスをしてくれていると認識することが可能だからです。

一方、公的機関に対するクレームは常に予算執行とのバランスの中でのみ考慮されることとなります。公的機関にとってのクレーム処理とは、まさに「処理」の対象にしかならないもの、最終的には我慢してもらうもの、できれば次年度で予算をつけることができたなら、解消できるかもしれないもの、に過ぎないのです。

ですから、公的機関にとって、成果と業績ということを考えたときには、先ほどの地方交付税の算定式の意味について考えたように、成果とはより多く予算を獲得することであり、業績とは予算を維持するあるいは増加する(事業規模を維持する、あるいは事業規模を拡大する)という意味になってしまうのです。これは地方自治体に限らず、日本政府も同じ行動原理で動いているということが言えるでしょう。

別の側面から見れば、このような公的企業の行動原理は国家官僚や地方公務員の志しを挫いている元凶でもあるでしょう。出世だけを願い組織のトップを目指す役人、あるいはことなきを得て安定した人生をのみ願う役人をのぞいて、国家、国民のために役に立ちたいことを願う青雲の志を持った本当の有為の人材を潰すような体制の中でしか仕事ができない、そのような環境を作り維持する強固な体制の中で苦しんでいる官僚、役人を生み出すことになってしまうのです。前川喜平氏がいみじくも言った「面従腹背」という苦々しい人生を送ることになってしまうからです。

ですから、財政の問題一つとってみても、真の改革は国民の精神的自立と国家公務員・地方公務員を含めた公務員改革が大前提となるのでなければなりません。小手先の技術論では日本の窮状を救うことはできないのです。