『金利ともインフレとも無縁のマネー』M・ケネディ 小森和男訳

                              要約版

本書は、現行の貨幣制度の隠れた欠陥について分析したものです。私は、多くの人々が、これらの問題に対する分析や解決方法を理解してくれるだろうと確信しています。

はじめに

多くの恥知らずの経済学の門外漢が経済学の本を表している。しかし、それらの多くは商売を行うための物差しとして貨幣を扱っている。貨幣は経済を表す尺度である。経済学者は、商人がキログラム、建築家がメートルといった単位を扱うように貨幣を扱う。

しかし、ここで難問が浮上する。

キログラムやメートルは不動の尺度なのに、貨幣という尺度は日々変動してしまうことである。

本書では、貨幣がどのような働きをしているのかをみてゆきたい。

また、私たちの重要な尺度が著しく変化する理由を探ってみたい。

貨幣が世界を創り上げる側面ばかりではなく、世界を破壊する側面についても探ってゆきたい。それは巨大な債務が第三世界の国々の人々のうえにのしかかっていること、大量の失業者を生み出していること、環境破壊、武器の製造、原発の建設や核の拡散等、こうした一連の流れは、貨幣の動きとそれに伴う金利や、複利を生み出す構造と根を一にしているのである。

こうした意味で、貨幣は「隠れた破壊兵器」と呼ばれており、この貨幣に依存した経済体制を、人々は自由市場経済と呼んでいる。

こうした問題の解決策は今世紀の何人かの先達が有効な措置を実践しており、その点は本文の進行とともに明らかにしてゆきたい。

本書は決して誰彼が悪いということを立証する目的で執筆されたものではない。本書の目的は何かしら良いことを見つけ出したり、私たちが持っている選択肢を明らかにすることであって、専門的に難しい内容を解き明かそうとしたりするものではない。しかし、明らかにされる選択肢を、実際に選ぶかどうかを決めることは非常に重要なことである。選択するのは、私たち自身である。

本書の特徴は二つある。

一つは、貨幣にまつわる複雑な問題を可能な限り平易に説明していることであり、それはほとんどの人々が日常的に使っている貨幣に関することであるから容易に理解されるだろうということである。

二つ目は、過去にこの問題を扱った書物と異なり、過去の特定時点で提案された新貨幣システムへの変更がどのように人々に有益な状況を作り出したかを示している点である。

そして、問題は、次の恐慌の前にこれらの改革を展開できるのか?それとも、間に合わずに、私たちは再び恐慌による被害を被るのか?

本書は多くの人々に有利な交換手段をいかにして創り上げるのかという提案である。

第一章 貨幣に対する四つの根本的な誤解

いつの日も地球上では貨幣が使われる。それにもかかわらず、ほとんどの人々は彼らが生活の中で使用される貨幣の、直接の役割あるいは間接の役割について、理解していない。貨幣とは何か。そしてそれがなければどうなるのだろうか。

貨幣は人類にとって極めて便利な発明である。そんなことは、誰でもが日常生活で実感していることだろう。

それではなぜ貨幣を問題として取り上げようとするのか。

貨幣の悪い面について考えてみよう。貨幣は商品やサービスを交換するための手助けをするばかりでなく、必要以上の貨幣が蓄積されると、交換そのものを妨害する作用も生じさせる。つまり、ある人々には支払いに必要な貨幣が足りなく、また他の人々のところには必要以上の貨幣が蓄積させてくるということがおきてくるのです。これはとても公正な状態とは言えませんが、現実に多くの民主主義国家と呼ばれている国々で起きていることであり、それは違憲ともされていないのです。

詳細な説明に入る前に、貨幣に対する四つの誤解について話をしておかなければなりません。

貨幣は世界のどこでも「公平」であること。これが私の信念です。これから述べる四つの誤解が現行貨幣制度を新たなものに変えようとする人々の共通認識を妨げているのです。

『ここで、公平と平等について一言注釈を加えておきます。

公平であるとは、「かたよらず、えこひいきのないこと。」です。[岩波書店 広辞苑第六版]         いっぽう、「平等」とは「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと。」[同書]であり、すべてのものが「平等」であるという世界は自然上ではそもそも存在しません。「一様で等しい」状態は、人工的にしか成立し得ず、自然状態では、すべてにばらつきや条件の違いが見られます。それが自然というものではないでしょうか。それでも、自然は気に入ったものだけに陽の光を与えるとか、水を恵むとかいったことはありません。生きる条件はそれぞれ違いますが、命は公平に与えられています。それぞれの条件で命を全うしようとするから、成長が期待できるのです。「一様で等しい」条件を保証することは自然の成長を阻害し、生命を人工物にしてしまうこと、生命に対する侮辱にも等しいものです。生命を家畜化するに等しいことです。』(筆者注)

第一の誤解 成長のタイプは一つだけか

第一の誤解は、物事の成長に関連したことです。自然の成長には三つのパターンがあります。(図1を参照)

曲線Aは自然界の成長パターンであり、私たちの肉体や動物や植物などにあてはまる。通常、私たちの成長は乳幼児期から十代の手前まではきわめて早いが、十代に入ると成長は緩やかになり、二十代で止まる。しかし、これは成長が妨げられるのではなく、量から質への転換を意味するものである。

曲線Bは機械的は成長を表している。例えば機械によって商品を増産するとか、エネルギーを増産するとか、それは最終的に機械を停止するまで継続するのである。

曲線Cは曲線Aと対照的な成長を表し、初期の段階ではゆっくりとした変化を示すが、徐々に急激な変化を表し、最後はほぼ垂直に近くなる。肉体の領域では例えばガン細胞の増殖指数曲線は初期はゆっくりで、徐々に加速していく。そしてたまたま発見された局面ではもはや誰にも止められない。あとは死神の招聘を待つのみである。金利や複利による貨幣資産の倍増もこれと同じ曲線を描く。すなわち金利の作用は指数関数が示すように、現行の貨幣制度における社会構造に巣食うガンのようなものである。

図2は貨幣の増加を時間軸で見ている。3%の複利で24年(72÷3=24)、6%で12年(72÷6=12)、たとえ1%でも70年(72÷1=72)を越えれば倍になる事を指数関数は示している。

それ故、人生を物質領域の指数関数パターンにおしこめることは難しい。この現象を端的に表現している有名な逸話を紹介しよう。

ペルシャの皇帝がチェスに夢中になりゲームを面白くさせるために、何か良い褒美はないものかと悩んでいると、優秀な数学者がある穀物の種をチェス盤の大きさ分ゲームごとに勝者に複利で与えてゆく事を進言した。当初皇帝は喜んでいたが、すぐに彼は彼の資産では褒美を与えることができないことに気がついた。1982年、ある人が計算したところ、64コマのチェス盤としてチェス盤1個を満たす種の数は、1,844京6,744兆737億9百60万個の種が必要となり、これを440回目続けると、その量は惑星規模の大きさになるとのことである。

似たような話ではあるが、1円をイエス・キリストが生まれたときに4%の利子で投資すると、1750年には64穣(ジョウ)3,196予(ジョ)6,486垓(ガイ)3,979京(キョウ)円となる。ちなみに穣とは10の28乗のことである。長い期間ではたとえ初期投資が1円であっても想像もつかない金額になる。利子や複利を払い続けることは算術上も現実にも不可能なのである。

この人間的な成長曲線と利子・複利計算上の矛盾はこれまで戦争、紛争、革命によって解決された。すなわち、戦争の勝者からは戦争による賠償金を原資とした返済から、そして敗者からは領土、実物資産、敗戦国民の労働力によって生み出される血税などから収奪されてきたのである。戦争がいかに私たちにとって無意味なものかは、この一事をとってみてもよくわかる。

この指数関数的増加が引き起こす問題の解決は自然な成長曲線に沿った貨幣システムを創造する事である。金利にとってかわる別のメカニズムについては第二章で詳しく述べる。

第二の誤解 私たちが利子を支払っているのは金を借りるときだけか

現行の貨幣システムにおける利子のメカニズムが、私たちになかなか実感できないのは、それが隠されたやり方で作用するからである。したがって、第二の誤解とは、以下のようなものである。

 利子を払うのは、金を借りるときだけである

  できるだけ利子を払わなくて済ましたい

  そもそも金を借りなくても済むようにしたい

図3はこのようなことが事実ではなく、

★ 私たちの支払いに支払利子が潜んでいること

★ その正確な額は私たちが購入する商品とサービスの労働コストと資本コストの割合に応じて変動する

という事を示している。ゴミ回収のための資本のシェアは左の図1のB「利子支払い資金のコスト」が12%で比較的低く、ここでは肉体労働に支払われるシェアが高いことが特筆されるべき事である。上水道の供給には図3の2のF「含まれる利子支払いコスト」38%であり、住宅(賃貸)の供給部門で図三の4のE「含まれる利子支払い分」は77%である。(図表中のDMはドイツマルクの略)

私たちは私たちが購入する商品、サービスの価格の中にそれらの資本コストのために50%前後の金利を支払っていることになる。



第三の誤解 現行貨幣制度は私たちすべてに公平であるのか

第三の誤解は

私たちが金を借りる際や物を買ったり、サービスを受ける際に支払う利子が、良くも悪くも公正に支払うことになっているだろう

ということ。これもまた事実ではない。誤解である。

ここは利益を得るものと支払いをするものに大きな差が生じる。

図の4は利子を支払う人と利子の利益を受ける人をドイツの人口を10段階に分けてみたものである。

1から8までのグループの人々は利子支払いが利子収入よりも多く、第9グループの人々は利子収入のほうがやや勝り、最後の第10グループの人々は金利収入が金利支払いの倍を占めている。すなわち第1から第8グループの人は金利による利益はまったく無い。

このグラフは「持てるものはより豊かに、持たざる者はより貧しく」という社会の不公正の実態をとても簡単明瞭に表している。

さらにいうならば、多くをとっている10%の人々の中の、さらに1%の人がその10倍、そしてその中の0.1%の人が100倍の利益を得ていることになる。私たちはこうした現行金利の再分配の構造を許していることになる。つまり、あらゆる生活面で必要な金を持つことができない人々がより少ない利益を、そして必要以上の金を持てるものがより多くを得ている、そうした構造を認めていることになるのだ。

これはマルクスが見出した搾取よりも鋭くかつ捉え難い、質の異なった問題であり、彼の生産領域における剰余価値の指摘やその再分配については疑う余地がないとしても、巨大に拡大された流通のカテゴリーはマルクスの時期よりも一層重要な問題となってきている。多大な貨幣がごく少数の個人や会社組織に集中的に掌握され、有り余った貨幣は、世界を駆け巡る。それはすぐさま現地の通貨や証券に交換される。株式の交換額は1980年の2倍になっており、日々の通貨交換では1980年から1986年までに18億から50億へと跳ね上がり、世界銀行の見積もりでは全世界貿易取引に必要な金額の15倍から20倍に相当するらしい。金利および複利のシステムは、経済の原動力であると同時に成長の病である。

10%の富める人々が彼らの総収入の割には少額の税や公共料金等を支払って多大な公共サービスを受け、80%の一般庶民は彼らの総収入の割に多額の税や公共料金等を支払わされているのにあまり大したサービスを受けていないのは、多くの国々の憲法で保証されている個人の権利に抵触するとの指摘もある。もし私たちが現行の貨幣制度を改革するというと、あたかも80%の人々のためだけの改革であると思われがちであるが、がんに蝕まれたような現行貨幣制度を万人の利益のために改革するということを第三章で明らかにしたい。

第四の誤解 インフレーションは市場経済に不可欠か?

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ここで、インフレーションの話題に移行する前に、インフレーションとは何かについて、まとめをしておきましょう。

インフレというのは、簡単に言えば物やサービスの値段が上がっていくことです。その原因は、色々あります。まず、経済成長の結果、世の中のお金が自然に増えて少しずつインフレになります。

給料が増えてみんながたくさん買い物をしようとすれば、「神の見えざる手」によって物価がじわじわ上がるからです。こういうマイルドなインフレなら、あんまり問題になりません。たとえば、昔は100円が常識だった自動販売機の缶ジュースも、今ではだいたい120円になってる。でも、それで生活できなくなる人がいるわけじゃないですよね。このように、「お金の価値が下がり、モノが値上がりする状態」が「2年以上続く」ことを、インフレ(インフレーション)と呼びます。

経済成長に伴ったインフレはそう怖くはないのですが、みんなが大いに困るインフレというのもあります。
ちょっと前にはガソリンの値段が上がり続けることがあったけれど、これはガソリンの原料になる原油が手に入りにくくなったことによるインフレ。
景気が悪くてお金が無いのに物の値段だけが上がると、もっと景気が悪くなちゃったりもするので大変です。ものすごいスピードでインフレが起きると、もうお金は「つぶれそうなお店の商品引換券」と同じようなものになってしまいます。あっという間に紙くず同然になり、缶ジュースを買いに行くのに、スーツケースいっぱいの一万円札を持っていかなければならなくなるとか、生活は不便になって、社会は大混乱してしまいます。

インフレはどんなときに起こるのでしょうか。簡単に言うと、世の中に出まわっているお金の流通量が多くなると、お金の価値が下がり、インフレになります。つまり、通貨の供給量が多い、もしくはモノが少ないことがインフレになる原因です。

具体的には、財政政策で、政府がお金を稼ぎやすくすると、お金の量は多くなります。例えば、減税することで、手元に残るお金は増えます。さらに、公共事業を増やすことで、国が消費者へ直接お金のバラマキができるようになります。社会保障を増やせば、老後の不安は減るため、老後資金の貯め込みはなくなります。そして、所得再分配を増やしお金持ちから貧乏な家庭に富を移動することで、貧乏への心配も消えます。これらの財政政策によって、人々はお金に余裕を感じるようになります。消費者が手元にお金を貯め込むことがなくなるため、お金はどんどんと流れて、お金の価値は下がっていくのです。また、金融政策で日銀(日本銀行)がお金を借りやすくすることでも、お金の量は多くなります。日本銀行が、民間銀行に貸し付けを行うときの基準金利を下げる(=公定歩合を下げる)ことで、お金のレンタル料を安くしても、お金の価値は下がります。または、日銀が市場から債券(主に国債)や手形を買って(=買いオペ)現金をばらまくことで、手元のお金が増えてお金の価値を下げるのです。※買いオペは、通貨の市場流通量を調整する、公開市場操作手法のひとつです。

では、インフレになったらどうなるのでしょうか。キリギリスのように遊んできた、借金だらけのAさんと、アリのようにコツコツ働き、1億円の貯金で年金生活を考えているBさんの場合、モノが値上がり、貯金していたお金は目減りしてしまうため、貯金があるBさんは損してしまいます。さらに、お店では売り惜しみが発生し、買い物したくても売ってもらえません。反対に、借金だらけのAさんは借金もすぐに返済できてしまいます。モノが値上がり、給料が増えるため、収入がある人は喜びます。さらに、借金は値上がりしないため、借金がある人も、増えた給料で返せてしまいます。「値上がりする前に買いたい」とお客さんの購買意欲が向上し、モノを売る人は高く売れます。そして、インフレでお金の価値が下がるため、土地の価値が上がり、土地を持つ人は嬉しいですね。

ただし、インフレ状態の時に新たに借金をする人にとっては、金利の利率は同じでも、利息の額はとても大きなものになってしまうということも忘れてはいけません。

一方、デフレになったらインフレと真逆のことがおきます。どの立場にいるかによって変わりますが、お金の価値とモノの価値のバランスがうまくとれていない状態は危険だとわかりますね。

デフレ=モノの値段が下がっていくこと

デフレというのは、簡単に言えば物やサービスの値段が下がっていくことです。「デフレーション」。例えば3000円くらいで売られていたシャツが980円くらいでどこでも買えるようになったり、250円で売られていたハンバーガーが100円以下で買えるというようなことがどんどん起こってくるのがデフレです。このように、「お金の価値が上がり、モノが値下がりする状態」が「2年以上続く」ことをデフレーション(略してデフレ)と呼びます。

現在の日本は景気が悪い状態がかなり長い間続いているので、デフレ状態だと言われています。日本では、値段を安くする競争が起きて「じわじわモノが安くなってる」という感じです。

デフレになると色々なものが安くなってラッキー!
そう考えている人もけっこういるようですが、喜んでばかりはいられません。
デフレの時は物の値段だけじゃなくて、給料も安くなったりするからです。しかも、物を安くしないと売れないから、会社もビンボーになって給料が下がったり、クビになる人が増えたりもします。

デフレの原因は、物やサービスが売れなくなることです。

例えば不景気で世の中をお金が回る勢いが無くなると、
人が物を買わなくなる

物を安くしないと売れない
となってデフレの原因になります。
外国で物を作ったほうが安く済むからといって、会社が外国にばっかり仕事をお願いしてしまうと、

仕事をもらえない人が増える→ビンボーな人が増える→物が売れない
となってデフレの原因になります。
そしてさらに、この状態が続くとデフレスパイラルという恐ろしいことが起こるのです。

安くしないとモノが売れないから、会社にもお金が入らない。

会社にお金が入らないと、給料が安くなったり会社がつぶれたりする

みんなお金が無いから、さらにモノが売れなくなる・・・

(以下くり返し)

インフレ・デフレ状態のお金の価値の変動を利用してお金を儲けようとする人がいます。お金儲けの基本は「安く仕入れて、高く売る」。これだけですから、デフレの時に仕入れて、インフレになったらその頂点で売り払う。その差額が「利潤」となるわけです。そして、世の中には「利潤」第一で、このことしか考えない人がいるわけです。インフレ状態での過去の借入は実質金利が下がってお得、デフレでは、その逆に実質金利が上がるので、過去の債務負担は重くなる、そういう側面もあります。それでは、本文に戻ります。

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第四の誤解は経済システムのインフレーション(貨幣価値の信用下落)についてである。現在の資本主義市場経済でインフレーションのない国はない。図5はドイツのそれぞれの分野での所得収入を示す図である。

賃金は1968年から1989年で345%であるのに対して、政府の金利の支払いは1360%にのぼる。(新たな債務が抱える金額も大きくなり、それに伴って利息の総額も大きくなる)

なすがままに放置されていることは明らかである。このままでは政府の債務はもっと大きく膨れ上がるだろう。あたかも発展途上国のように、もし子供が1歳から9歳までで三倍の大きさになったら、人は一般に「まあ、そんなものだ」ということですますであろうが、それが十一倍になったら「それは病気だ」ということになるだろう。ごく少数の人々は政府のこうした事態を注意深く見守り、これを貨幣制度の病だと結論づけるだろう。しかし、これを「健康体」にすることは誰にもできることではない。

悪いことに政府はこうした債務を増税という形で乗り越えようとする。中央銀行は債務を減らすために通貨の追加発行を行う。収入と債務の格差がより一層鮮明になる。その結果より高いインフレーションが必要になってくる。貨幣価値の減少は80%の一般の人々に多大な負担を強いることになり、その一方で10%の富める人々の不動産や投資による収入の財源になるのである。

経済史学者のジョン・L・キングはインフレーションについて次のように述べている。

「それは、金利によって膨らまされた気球である。広範囲にわたって金利が物価上昇の中に潜んでいる。アメリカ合衆国の9兆ドルの国内債務の10%にあたる9千億ドルの支払い分が物価上昇の中に組み込まれており、通貨の4%インフレという現象を引き起こしている。複利などといったものは目に見えぬ破壊兵器である。金利が当然だという心ない金融の強迫観念を取り払わねばならない。」

合衆国国内で、この33年間に1000%の個人と公共の負債が生じていて、その多くは民間部門で占められている。連邦政府はこの金利の増大を利用し、さらに拍車をかけようとする。信用保証、政府保証の抵当証券が市民権を得て、税額控除、中古市場、預金、保険等の金利がそれに連なる。

多くの人々が労働や経済活動で創り上げた富とそれに連動する通貨レートを金利システムが圧迫するという邪悪な悪循環が横たわっている。インフレーションの社会的不公正、環境的影響は明らかである。

私たちは心ない金融の呪縛(金利)にとって代わるより良いシステムによって貨幣の流れを変えなければならない。

第二章 金利もインフレーションもない貨幣の創造

シルビオ・ゲゼルはドイツとアルゼンチンで成功した商人である。

商品が早く売れる時は、価格は高値を維持するが、そうでない時は低価格に向かう。彼はどうしてそうなるかを考え始めた。

そして商品価格の変動は人々がそれを必要とするとか、品質が優れているとかが直接影響するのではないことをすぐに理解した。ほとんどが貨幣の価格や金利、貨幣保有者の態度に影響されることに気がついたのだ。そして、金利のレートが低い時、人々は商品を買いに走る。しかし逆にレートが高い時は買い控える。金利レートが高い時は手元に貨幣がたくさんあるときも、そうでないときも貨幣を他人に積極的に貸し付ける。そして再びその貨幣が手元に戻ってくるときの利子率が2.5%以下ならば、投資を控える。その結果は倒産件数が増加し、仕事を減らす。しばらくして、彼らがより高い利子率の投資先を見つけ出すと、また投資が再開され、新しい経済サイクルが始まるのだ。高金利と高い価格が早いサイクルで市場を駆け巡る。徐々に貨幣の供給は巨大化し、その結果金利の低下を呼び起こす。そして再び資本に打撃を与えることになる。

シルビオ・ゲゼルはこのような現象は貨幣が引き起こす現象だと説明する。他のあらゆる商品やサービスとは違って、コストがかからないまま維持することができる貨幣によるのだと・・・・。

もしある人がバッグの中にリンゴを持っていて、また他の人が持っている貨幣でこのリンゴを買うとする。しかし、リンゴの売り手はどうしても短い期間に彼の利益を損ねないようにリンゴを売りたい。しかしながら、貨幣の持ち主は彼の納得ゆく価格になるまで待つことが可能である。それは維持費がかからないからである。

次のようにゲゼルは提案する。もし、我々が貨幣に他のあらゆる商品と同様に維持費のかかる新しい貨幣システムを創設するならば、貨幣投機の変動から自由な経済を持つことになろう(その費用は毎年5%、それは歴史的に考え抜かれたものである)。

彼が示唆したのは、貨幣が「さびつく」ものでなければならず、「使用料」の対象であるべきだということである。ゲゼルは貨幣を干からびさせずに、使うことを目的とした貨幣を提案した。

1890年、シルビオ・ゲゼルは貨幣理論と自然的経済秩序を著した。これは資本主義と共産主義をプトレマイオス的天動説に例えるならば、コペルニクスの地動説に値する。太陽が地球を回るのではなく、地球が太陽の周りをまわっているといった自然科学的批判である。

金利にかわる貨幣流通のための使用料

ゲゼルの主張は、私たちのそれまでの常識に対する真に科学的な立場からの批判である。

ゲゼルは使うことを条件にした貨幣を政府が発行すべきであると提案する。これがこの本の中心的なメッセージである。流通すべき貨幣のかわりに金利がつく貨幣が流通していると、流通のためにより多くの貨幣が必要となる。人々が支払いのために使用しなくなるほどに、流通の外に貨幣がとどまることになる。

こうした貨幣の流れは次の例がより理解しやすいだろう。

鉄道会社の貨物部門に助成金が投入される場合と、次に述べるケースとではどちらがより商品やサービスの流通を促進するのか。

例えば、この助成金を鉄道会社が貨物の荷物の荷下ろし作業に投入せずに、この助成金が一般の経済循環に投入され、ユーザーは自分で荷下ろしをするその費用を自分で負担すること、これが私たちが望んでいる貨幣流通の形態である。

こうした自治体や政府が支出する新たな貨幣が、貨幣と商品やサービスとの交換の促進を助けることになり、交換のために必要な貨幣を多くの人々が持つことができるようになる。それは駐車料金を支払うかのようにである。見ての通り、これによって多くの社会問題の原因である金利や複利の問題が駆逐されてゆく。

今日、利子は私的利得であるが、貨幣使用に係る料金は公的収入となるであろう。こうした貨幣によって負担される使用料は流通に還元されたあと、貨幣量と経済活動の規模の大きさとの相互関係でバランスが維持される。こうした流通する貨幣は政府の事業利益となり、それによって公共事業のために必要な市民の負担も軽減できる。

数々の実験が試みられた。1930年、自由経済の同調者によって、ゲゼルの理論的は発見は失業者対策や民主主義運動に効果をもたらした。オーストリア、フランス、ドイツ、スペイン、スイス、アメリカの多くの地域で、その奮闘を見ることができるが、特に際立っているのはオーストリアのヴェルグルでの成功である。

1932年から1933年、オーストリアの小さな村ヴェルグルで始められた経験は今日でも注目に値するものである。この村の村長は実業家や行政官達に多くの利益を与え損失を少なくすませる政策、すなわちゲゼルの提唱する「自然的経済秩序」に立脚した貨幣政策の試みを納得させた。そして住民合意のもと、32,000自由シリングの無金利の自由貨幣を発行した。それは通常のオーストリアシリングとまったく同じ価値を有していた。彼らはそれによって橋を作り、道路整備を行い、その他多くの公共事業を行った。そして賃金が支払われ、肉屋、タバコ屋、パン屋が商品との交換にその貨幣を受領した。(具体的には、公共事業の給与の半分をスタンプ通貨「労働証明書」で支払います。受け取った人は、月に1度額面の1%分のスタンプを購入しなければ利用出来ません。その為にこの貨幣を受け取った人々はオーストリア貨幣よりも優先して利用するようになり、スタンプ通貨の流通が高まり、不況で停滞していたヴェルグル経済の高い失業率は解消される結果となりました。)

その貨幣の「使用料」は月に1%、年に12%である。人々は月末に手持ちの自由貨幣の紙幣裏面に、その1%に値するスタンプを購入しそれを貼るのである。そうしなければその紙幣は何の価値も持たなくなるのである。この小さな費用をすべての人々が支払い、従来の通貨のようにその貨幣を使用した。そして税金もこの貨幣によって税収不足をまぬがれた。32,000シリングの自由貨幣は463回循環し、通常オーストリアシリングの21回をはるかに凌駕した。

当時ローロッパでは仕事の減少=失業者問題が深刻化していた。ヴェルグルでは1年で失業率を25%減少させた。そして村当局も交換性向の高い32,000自由シリングによって3,840シリングの増収となり収益は公共事業に使われた。それは個人生活の救済のみならず、公共全体にも利益をもたらした。

そして300を越えるオーストリアの自治体がこの政策に関心を持った。オーストリアの国営銀行は独占の危機(貨幣発行あるいは経済政策?)感を持ったのか、村議会への妨害工作ち地方貨幣発行の禁止等の圧力をかけてきた。この正否をめぐってついには最高裁まで争われることとなった。これらの試みはヴェルグルのみならずヨーロッパ各地で展開されたし、現在でも試みられようとしている。

1933年には大きな都市を含む100以上の自治体がスタンプ貨幣の実行計画を建てた。こうした事態をワシントンD.C.の労働局・内務局・財務局のどこも反対しなかったが、しかしどこも許可を出さなかった。

そして1933年3月4日、ルーズベルト大統領は、臨時銀行閉鎖と緊急通貨の発行の禁止を命じた。

大谷の意見によれば、今日、貨幣改革を技術的側面から見ると、私たちの支払い行為の中で貨幣の90%は、幾多のコンピューターの中で処理されている。こうした中ですべての人が当座預金と預金の2つの口座を持てばよい。

当座預金に入った貨幣は月0.5%、年6%を差し引かれるだけで現金のように取り扱われ、必要な支払額が当座預金を超える場合は、不足額が預金口座から引き落とされる。銀行は利用客の必要から金利の支払いなしで貨幣を預かる(借りる)ことができる。預金口座はどんなに長い間預けても貸付はしない。それと同じように新しい貨幣のオーナーは金利を受け取らない。「しかし、その新しい貨幣が、同じ価値を持ち続けたとして、利子はなくなっても、無用なインフレーションはやってくる」。

個人が利子を支払わずに信用の公正を受けるには、危険保険料と銀行手数料がどこの銀行ローンでもついてくる。今日のドイツでは、通常のローンは約2.5%の信用手数料が必要である。ほんの少しだけ銀行業務の方向性を変えても、銀行はこれまでのように通常の業務を行うであろう。ただしこれまで以上に銀行はローン貸付獲得に興味を持つであろう。なぜなら銀行も誰もが負担しなければならない使用料を負担することになるからである。

一時的に利用しうる貸付額と預金額をバランスさせるために、銀行は自らが必要とするより以上の新貨幣を預金口座によっているかどうか、あるいは流動性の問題を抱えているかどうかによって決まる少額の利子を支払ったり受け取ったりすることができる。この場合、金利はメカニズムの規制要因としてのみ役立つのであり、今日あるような富を再分配するメカニズムとして働くのではない。

この改革は厳正にかつ公平に、すべての業務の必要のために使うことを前提とした貨幣流通を創り出すことである。貨幣は業務に役立てる以外に何も創り出さない。それはカーブAの指標に沿った、自然成長の短期的なものである。

一方、技術的な面から言えば、道具としての貨幣の改革とは、貨幣が貯蔵されることを妨げるものといえる。より良い方法とは優先の告示なしに色違いの貨幣を発行して、裏面にスタンプを貼り付け、1、2年で回収できるようにする。これは政府や国家にとって、通常の貨幣が使い果たされることに比べたら、決して高くつくものではない。第3章に書いたことだが、オーストリアやアメリカの経験が示すように、政治的側面が技術的側面より重要なようである。これ以上の貨幣改革を行うには、もっと大規模な改革を必要とする。それには土地改革・税制改革が伴わなければならない。土地改革がなければ、過剰な貨幣が土地投機を呼び起こす。税制改革がなければ、経済の膨張が起こり、それは自然財との関係で深刻な環境上の問題を呼び起こすことになる。

必要な土地改革

貨幣と土地はすべての人が生きてゆくために欠かせないものである。私たちが食べる、寝る、労働するといったことすべてが土地なしでは成り立たない。土地は水や空気と同じようなものである。北アメリカの先住民は、「大地は我らの母であり、それをどうして切り売りなどできるものか」と考えていたらしい。つまり土地とは共同体の属性であり、かつまた共同体全体で土地を利用した。こうした考え方はヨーロッパの国々でも中世にローマ法が成立し、個人財といったものが出現するまではあったようだ。

土地の私的所有と私的使用は資本主義国家

土地の共同的所有と共同的使用は共産主義国家

資本主義国家では、ごく少数の人々に巨大な利益をもたらす私的土地投機のために、多くの人々が多大な費用を支払わされている。共産主義国家は日経済的な共同体あるいは集団的所有が主要な問題である。

西ドイツでは土地の70%は20%の人々の所有になっている。ブラジルやその他の第三世界の国々では土地所有は2%から3%に満たない人々の所有になっている。資本主義国家での問題は個人的土地所有である。

共産主義ではかつてのソビエト連邦の共同所有は60%で、食料は4%の私有地(自留地)で生産されていたとのことである。このことが意味しているのは、共同所有と共同使用が問題であるということだ。個人的な使用と共同的な所有の結合が社会的公正と個々人の成長を達成するための最も有効な解決であろう。こうした問題提起は1879年にヘンリー・ジョージ、1904年にシルビオ・ゲゼル、1981年にオオタニ・ヨシトによってなされている。

今日的な実際の問題として、自治体あるいは自治組織が土地を買い上げ、それを住民に貸すことである。国家がこの政策を施行することは、進歩的な憲法の理想的視点から見てもなんの問題もない。このような考え方はドイツ連邦共和国憲法にも社会的責任として記述されている。しかしながら長い歳月が流れてもそうした社会的責任と出会ったことがない。

崩壊的危機の結果として国家による土地収奪が行われている共産主義国家および西側ではない国々では、土地収奪に対し補償すべきか否かを議論すべきである。

ローマ法から始まった、土地の私的所有もせいぜい500年くらいの歴史である。そしてその中で市民社会は制圧者の利益に支配されてきた。歴史に従えば、今日の土地所有は買うことによって、あるいは法に沿った相続によって彼らの土地専有はまったく合法化されている。そのため、社会のより公正を求めるならば、いくばくかの補償は必要になる。

長期的に実現可能なのは、土地の区画の価値ごとに年3%の税を取り立てることである。これらの費用は自治体に支払われ、市場の土地を買い上げるために使われる。そして33年と少しで自治体はその所有権を得ることができる。

土地所有者は否応なく二つの選択に迫られる。土地所有税を支払うか、自治体に土地を売るかである。

例えば3%の土地所有税を支払い続けるならば33年と少しで、土地価格と同等の価格になるのだから、相殺払いにもできる。とにかくオーナーは土地を使用する権利は持ち続けるのだから、33年以降は3%を自治体に払うのと同じことになる。

この規制は直接的に土地投機をやめさせる効果を持つだろう。多くの土地は市場では価格の目減りを避けるために使用されないことが多い。もっと土地を利用できるなら、土地の価格は下がり、生産的な方法によってより多くの人々が土地を利用できるようになるだろう。特に発展途上国では、食糧生産に貴重な効果をもたらすだろう。食糧不足は農業技術の問題もさることながら、小規模な農業ということに主要な原因があるのだから。

発展途上国または産業国家において、新システムは今日的世襲的借地人制度の中にあって、借地人の方に有利にことを運ぶだろう。

土地オーナーは遺産を相続できるが、それは地方の計画の規制を受けることになる。彼らは、そこに建物を建てることも、自治体以外の人々に土地を貸すこともできる。それは次の借り手がリース料を支払うだけである。

借り手の決定でオークションに似た形式で賃貸の公正が図られる。それによって無能な計画経済や官僚的指導は避けられる。

この変革は最終的には勤労大衆の方の重荷を軽減し、彼らが投機する者のために不当に支払わされている支払いを終わりにするだろう。現実に沿った社会改革は土地と貨幣の投機をなくすことである。再び言うが、提案した改革は現行のシステムによって利益を得ている人々を懲らしめようと画策しているのではない。少数の人々に法外な利益をもたらし、多くの一般庶民に負担を強いることを、ゆっくりと、だが確実に終わりにすることである。

必要な税制改革

今日ドイツでは、GNPの2分の1から3分の2の概算予算を環境保護のために使うことが主張されている。生産と雇用を伸ばすことと、貨幣と土地改革を行うことの間の障壁が取り除かれることによって、税の徴収と環境破壊に対する改革の道が開ける。

(1) 所得税から生産税。

(2) 環境保護のための費用割り当てを、生産税の中に組み入れる。

ハーマン・ストレイナーは説明する。この考え方は彼の著書(環境経済学)により詳しく書かれているが、所得税は人件費をより高いものにしている。それゆえに機械化が必要になってくる。そして、より安い消費財を作り出すために有限の資源の乱費が助長される。もし税が生産に課せられるならば、生産のコストの中に環境保護のための費用を組み入れることができる。生産を拡大すれば生産費はより高くなる。人件費を安くするのと自動化に圧力をかけられれば、より多く人々が仕事を見つけることが可能になる。

現在の社会的支払いは二重の損失を被ることになっていて、もし労働者の代わりに機械が導入されれば、所得税収入を失うことになり、そして機械に税はかけられない。レイオフされた労働者に失業補償は支払わなければならないといったことになる。さらに労働の報酬もその分配は不平等であるが、所得税が廃止されればそうした不公正は解消され、経済における影の部分に光があてられる。

それは決して日常生活の低下の始まりを意味しない。なぜなら生産費が上昇することによって跳ね上がった物価は、課税されない収入によって調和がとれてくるだろう。この改革は環境保護的合理性と長期的には現在とは全く違った消費動向を生み出すだろう。

新しく車やバイクを買うときも、人々は前もってよく考えるようになる。より高い費用をかけて新しいものを買うよりも、古いものを修理して使うことを。

この税制改革は、たとえ貨幣改革や土地改革が伴わなくても徐々に広められるだろう。

それは多くの人々に支持と効果をもたらすだろう。だがこれらはここ数十年多くのエコロジストたちから提案・要求されてきたことである。

他の2つの改革を結合すれば、幾多の環境問題と環境保全や失業問題に大きく貢献するだろう。

(終わり)