門脇厚司著『異色の教育長 社会力を構想する』

門脇先生の新しい本が平成29年12月1日に出版されました。

この本の中で、先生は「教育長に期待される役割やなすべき責務」について明らかにしている。その中で先生は、単に教育行政の中に身を置いた体験談を記すというにとどまらず、「戦後わずか70年を経ただけで再び教え子を戦場に送りかねない状況」にある現代の中で、教育学の研究者として「おかしいことはおかしい」と声を上げようと現場の先生たちに檄を飛ばしている。「旗色を鮮明」にした稀有な教育長の経験談から多くの若い教師たちが学び、これに呼応して勇気をもって「おかしいことはおかしい」と自分のそれぞれの持ち場で声をあげていくことが求められている。

先生が「異色」であるのは、校長先生の退職後のポジションとされている教育長というポストを、教育社会学者としての先生が異例にも教育長となったから異色だというのではない。「学力向上(点数稼ぎ)」一辺倒の世の中で、「美浦村は学力向上路線から撤退する。美浦村では学力向上は禁句である」と宣言し、それを実践していることに示されるように、教育の本質をズバリ「目指す将来社会と地域社会のビジョンを明確にし、それを実現するために必要な能力=社会力だ」と断言し、それを現実の教育行政を通じて実現しようとしていることにある。ここが「異色」なのである。

それにしても、国のトップから流れてくる強烈な意志は文科省、県、市区町村の教育委員会、教育長、校長、教職員へと強力に押し付けられてくる。彼ら公務員の活動の動機は何かと言えば、従順に従えば与えられる「安定した最良の人生」という、他人への共感を欠いたものだ。狭いほんの少しの自分たちの周辺にしか届かない狭窄した視力しか持たない彼ら公務員によって「公」は私物化されていると言える。他人へ共感する能力、つまり社会力の育成こそがこの閉塞した状況を突破する力なのだが、その第一線に立つべき教育関係者たちに欠けているのもまたこの能力なのだ。

「公務労働」を一部の人たちのためのものではなく、真に「公」のためのはたらきに変えていくためには、私たち国民自身が真っ先に変わって見せなくてはならないのだろう。