貨幣は公共財ではないの?(連載9)

第9回目は、「お金はどのようにして支配の手段となるのか」という話題です。

教科書はこれまでと同じ

NPO法人日本未来研究センター理事長山口薫さんの著作

『公共貨幣』第5章です。

この連載の2で、お金が果たす機能について以下のようにまとめました。

1.お金は価値尺度として機能する

2.お金は交換手段として機能する

3.お金は価値の保蔵手段として機能する

4.お金は権力の支配手段として機能する

今回は、この4で示した、お金が権力の支配手段として機能するという側面に焦点を当てて考えてみたいと思います。

みなさんのうちの庭に「金のなる木」があればいいと思いませんか。水やりさえ欠かさなければ、必要な時に必要なだけお金という果実を摘んで暮らせるのですから、気楽に生きられますようね。

ところが、実はそんな「金のなる木」を銀行が持っているということを前回見てきたわけですが、より具体的にいえば、それは「複利計算による利子支払いという金融システム」が係わっています。

では、そもそも「利息」とはなんでしょうか。お金を借りたら利息は払わなくてはならないものなのでしょうか。

キリスト教の聖書には、『ヨハネによる福音書』の中で神が住まう神殿で人々の信仰心を利用して金儲けをしている商売人たちに対して、イエス・キリストは激しい怒りをあらわし、商売用の羊や牛、鳩、両替屋の硬貨なども撒き散らし、商売用の台を壊してしまうというシーンが描かれています。キリスト教も本来は利息を取るような商売を認めていませんでした。それはキリスト教に限らずユダヤ教もイスラム教も同じです。イスラム教はいまでも建前としては利息を禁止していますし、ユダヤ教では「異教徒」に対しては利息を取ってもよいが「同胞」に限っては禁止、また、キリスト教は中世末期の宗教改革で解禁したという経緯があります。

いっぽうインドや中国、日本では一般的には禁止されていなかったようで、日本では古くから「出挙(すいこ)」という形で神様への謝礼という形で存在していたようです。金貸しなども神社が行なっていたようです。

話しをもとに戻しますと、おカネがおカネをうむ、利息、あるいは利子とは一体なんでしょうか?それにはいろいろな考え方があるようですが、古典経済学では、労働や土地などの資本財の提供に伴う利潤である、とする考え方や、現代金融論では、利息とはおカネとおカネの「異時点間交換」から生まれると考えているようです。つまり「いまのおカネ」であれば、必要な時はいつでも使用できる。それに対して「未来のおカネ」は、その期限が来るまでは自由にすることはできない。さらに、「未来のおカネ」はいまだ実現していない「約束」でしかない点で、リスクも抱えている。このようなおカネが、仮に表面的な金額は同じだとしても、「いまのおカネ」と同価値であるということはできない。その価値の差が、いわゆる利息である、という考え方のようです。

いずれにしても、現代の資本主義社会では、お金と利息は切っても切れない関係にあります。そこで、一般に行われている利息の計算方法である「複利計算」をみてみます。

「複利計算」とは「借金にさらに返済利息が加わり借金が増え、その増えた借金に同じ利子率が適用され、さらに返済利息が増大し、借金がそれに輪をかけたように増えてゆく。まさに借金地獄となるのが、複利計算による利息支払いの恐怖の仕組みである」ということになります。逆にお金を貸した側からみれば、お金持ちはますますお金持ちになるという金融システムであり、このような自己増殖する指数的成長モデルは、人口増加モデルや、動植物繁殖モデルといったように人間社会や自然界に数多くみられます。

この指数的成長モデルがどれくらい強烈なものかを実感できる小噺が紹介されています。

イランの昔話:ある廷臣が素晴らしいチェス盤(64のマス目)を王様に献上したところ、なんでも好きなものを褒美に与えるといわれた。そこで、彼は米一粒からはじめ、チェス盤を1マス移動するごとにその倍の米粒をいただければそれで満足ですと答えた。王様はそんな褒美でいいのかとすぐに同意した。さて、64番目のマスにたどり着く頃には、米粒はどれくらいの容量になっているだろうか。

答えは9.22かける10の18乗。

ちょっと想像もできない量だが、この驚異の増加モデルが、「お金持ちの預金は驚異的に増加し、貧乏人の借金は瞬く間に膨れ上がるアリ地獄のような恐怖」が出現してしまう仕組みなのです。利息20%のサラ金に手を出すということがどれほど恐ろしいものか、一目瞭然でしょう。

この指数成長的モデルの倍増または減少の計算は結構簡単で、増加率あるいは減少率が決まれば、次の式で容易に求めることができます。

倍増(減少)時間=69年÷増加率(減少率)

たとえば、利息20%の倍増時間は69÷20=3年半 ということになります。利息20%でサラ金から15万円を借りた場合、3年半で30万円となり、7年後には60万円、10年半後には120万円となります。

部分準備銀行制度によって無から生み出された要求払い預金が日本のマネーストックの85.5%を占め、この債務には必ず利息がついて回っています。この負債貨幣システムでは、つねに恐怖の「借金地獄」が待ち構えているというわけです。

しかし現在のシステムのもとで経済活動を活性化させるためには、マネーストックの増大が不可欠ですが、そのためには誰かが借金をしなければこのマネーストックを生み出すことができません。この誰かとは、すなわち企業であり消費者であり、日本政府であるわけです。世界的にいうと、この誰かとは発展途上国であり最貧国ということになります。しかし、借金をすれば「借金地獄」が待っている。さらにこの債務貨幣システムの経済には必ず危機、破局が訪れます。現在の貨幣システムは決して人々を幸せにする経済ではないのです。

今回は以上です。

次回は、「金融による権力支配の実態」ということについて勉強していこうと思っています。