貨幣は公共財ではないの?(連載8)

第8回目は、「預金は誰のもの?」という話題です。

教科書はこれまでと同じ

NPO法人日本未来研究センター理事長山口薫さんの著作

『公共貨幣』第4章の後半からです。

今回は、無から信用創造された預金は、それでは誰のものか?というお話しです。

まずみなさんにおたずねします。

銀行からお金を借りて、それが自分の預金口座に振り込まれれば、それは自分のお金だと思っていませんか?

または、一生懸命に働いて、自分の持っている現金を銀行に預金すれば、預金口座の残高が増えて、その増えた分は自分のお金だと思っていませんか?

実は、それは全て錯覚です、といったらみなさんは驚かれるでしょうか?

アメリカの偉大な貨幣数量経済学者のアーヴィング・フィッシャーは次のようにいっています。

「現在、預金の所有についての混乱がある。お金が要求払い預金口座に預金されると、預金者はそのお金は自分のものだと思っているが、法的には銀行のものである。預金者は銀行にお金を所有していない。預金者は民間会社である銀行の単なる債権者にすぎない」

そうなのです。債権者ではあっても、預金の所有者ではないのです。しかもそれには、法的な裏付けがあるのです。ちょっと面倒ですが、日本の民法を見てみましょう。

民法の第666条をみてください。そこには以下のように書いてあります。

「(消費寄託)第六六六条 第五節(消費貸借)の規定は、受寄者が契約により寄託物を消費することができる場合について準用する。」

つまり、銀行預金というものは、「消費寄託」というもので規定されており、銀行は寄託されたもの、つまり「預金者の預金」を消費することができる、となっています。銀行は預金者のお金を自由に使うことができるのです。ただし、預金者に利子をつけて、要求があった時はすぐに変換するという条件付きで。そして、第587条(消費貸借)という条文で、「消費貸借は、当事者の一方(銀行)が種類、品質及び数量の同じ物を持って返還するを約して相手方(預金者)から金銭その他の物を受け取ることによって、その効力を生ずる」と規定しています。つまり、銀行は消費を前提として、金銭を「受け取って」いるのです。

つまり、現在の法的制度(民法)のもとでは、現金預金は銀行への消費寄託となり、銀行は預金者に断りなく自由に預金を運用でき、利息を稼げるのです。またそうして運用しなければ、銀行は預金者に預金利息すら支払えなくなるのですから、当然と言えば当然のことですね。

いいかえれば、普通預金であれ、定期預金であれ、預金者はその所有を断念して消費寄託し、資金運用を銀行に委ねている、ということになります。もちろん信用創造で借りたお金も同様の考え方で預金者のものではなく、貸し出し銀行のものです。この場合は、貸し出し利息というペナルティがお金を借りた預金者について回ります。そして、すべての債務者が借金の返済を完了すると、無から生み出されたお金(みたいなもの)は無へと帰っていくのです。

マネーストック(連載6を参照)の85.5%を占める要求払い預金は民間銀行の私有物として、銀行のマネーゲームの手中にあるのです。

今回は以上です。

次回は、「お金はなぜ支配の手段となるのか?」ということについて勉強していこうと思っています。