リチャード・A・ヴェルナー『不景気が終わらない本当の理由』草思社

はじめに

『円の支配者』の著者が、大蔵省が解体されたことを契機として日本経済のバブルとその後の「構造改革」による不況の元凶は日銀であるとして、日銀の問題を扱ったその本が発刊された2年後の2003年(平成15年)に出版した本である。しかし、著者が警告した問題は残念ながら今でも解決していない。

「残念ながら、問題は日本銀行そのものだと認識する専門家が増えているにもかかわらず、事態にはほとんど進展がない。」(P11)

舛添要一、山本幸三、渡辺喜美各氏もその本の内容に賛同し、自民党に日銀改正を目指す調査グループが結成されたにもかかわらず、である。ジョセフ・スティグリッツ教授は「日本政府が政府紙幣を発行してはどうか」とまで提案した。ジョン・F・ケネディも1963年にアメリカ政府紙幣の発行に挑戦し、暗殺されてしまった。

私たち一般庶民は、この国の主人である。それにもかかわらず、日銀のスタッフは、私たちのコントロールの外で、私たちと全く関係のない目的のために仕事をしている。自分たちで自分たちの給料を印刷しながら・・・。

日銀法が定めている唯一の目標は物価安定である。しかしその唯一の目標すら達成できていないにもかかわらず、責任も取らされることなく、別の目的のためにせっせと仕事をしている。その間、日本経済は最長のデフレに沈んだままだ。本当に必要な構造改革とは、日銀の改革である。

「日本の不況の目的は、日本の経済モデルを傷めつけて解体して、資産を外国の利権集団に叩き売りして外国企業の市場シェアを増やすことにあった」(P16)

日本で起きたことは、東南アジア、韓国でも起きたし、ヨーロッパ(特にドイツ)でも起きている。欧州中央銀行(ECB)によるドイツ・ブンデスバンクの支配である。

マスコミはこうした日銀の犯罪について、口をつぐんでいる。それならば、私たち一般庶民が一人一人立ち上がり、行動を起こす時だ。カナダの少女でさえ、中央銀行と政府の共謀による国民の奴隷化という凶悪な犯罪に立ち上がるよう訴えかけているではないか。

Ⅰ 日銀総裁についてメディアが報道しないこと

1 福井総裁任命をめぐる謎

小泉の怪

あの「構造改革」の雄、小泉純一郎が日銀の異端児と呼ばれていたデフレ・ファイター中原伸之を日銀総裁に任命せず、プリンス福井俊彦を任命したことにより、モラルハザードが生まれている。つまり日本経済に「迷惑をかけて人間に褒美を与え、悪さをしても特になる、という間違ったメッセージを全員に送った。

バブルを生んだ張本人

1980年代のバブルは日銀に金利引き下げの圧力をかけた政治家や大蔵省が生み出したものだという古臭い神話を流布しているが、低金利が80年代のバブルを生み出したのではないことはすでに歴然としている。80年代のバブルの原因は、不動産登記への銀行融資の過剰な伸びだった(『円の支配者』参照)。原因は金利ではなく、日本銀行が銀行融資について行った「非公式の指導(窓口指導)」にあった。

1986年から89年まで、日銀は過剰な融資増額を銀行に割り当て、その割当を守らない銀行を懲らしめた。この融資割当は日本銀行が決定していて、大蔵省や政治家の介入はなかった。

現在(2003年)、新日銀総裁として仕事を始めている人物は、1980年代に日本のバブル経済を生み出した張本人なのである。

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小泉としては誰か別の人間を、たとえばもともと民間の出身である中原を起用したかっただろうことは、容易に想像がつく。だが小泉は意中の人間を総裁に就けられなかった。したがって問題は、誰が、あるいは何が、聖域なき改革論者小泉よりもさらに大きな力を持っていたのかということである。それは小泉ですらあえて逆らえないほど強力な既得権益集団に違いない。

国会の謎

日銀法の改正によって、衆議院と参議院は首相が選んだ中央銀行総裁と副総裁の候補を承認するかどうかを議決しなければならない。

彼ら議員は福井俊彦を総裁として承認する決議をした。

国会では真剣な質問も、疑問の提起も、適切な議論もほとんどなく、福井はやすやすと議決を経て承認された。

そう、日本国民の代表である政治家は、バブルと不景気を生み出した人物に昇進という褒美を与えることを議決したのだ。

彼らはオオカミを羊飼いに任命することを決定した。

政治家が福井の過去について自由に議論できるものならそうしただろうことは、ほとんど疑いがない。それでは、日本の国会の選良が義務を果たそうと試みることすら阻止した大きな力とはなんなのだろうか?

メディアの謎

三つ目の謎がある。代議制民主主義では、有権者は政治家とその行動について入手できる情報をもとに判断をくだす。したがってマスメディアは民主主義に対する大きな責任を分かちもっている。

日本のジャーナリストは知的だし、経験豊富で有能な記者は自分の職業にプライドを持っている。それなら、二月末に小泉が任命を公表したとき、福井俊彦候補について多くの重大な質問をしたかったはずではないか。日銀のスキャンダル(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)につながった1998年の不面目な辞任は言うまでもない。

ところが、ジャーナリストたちにはそれができなかったらしい。それどころか、マスコミはテレビも印刷媒体も含め、われがちに福井俊彦礼賛に走った。

金融市場の参加者が注視する日本有数の経済日刊紙、日本経済新聞は特に重大な責任を担っているはずだが、とりわけ熱心に福井を推しており、この日銀のプリンスを口を極めて褒め称えてきた。福井への賛辞は数週間にわたって続いた。

このような事例は枚挙に暇がない。

実際、ほとんどのジャーナリストは事実を知っていたはずだし、多くはぜひ報道したいと思ったはずだ。だが、そうしなかった。

この力、1969年に今日の日銀総裁をあらかじめ決定できた力とは何なのか?30年以上にわたる長期計画を策定できた力とは何なのか?聖域なき改革を目指す首相に、公言した大事な原則をも踏みにじらせた力とは何なのか?政治家やジャーナリストに職務を全うすることを断念させられる力とは何なのか?

2 記者クラブ制の力

記者クラブはナチ・ドイツで生まれた

新聞やその他のメディアは、本質的に不完全な情報の存在のおかげで経済的に成り立っている。ジャーナリストは、経済に関する最も重要な情報源は日本銀行であるとすぐに気づく。結果として日銀は、ジャーナリストから見てできるだけ近づきたい最も魅力的な機関となる。ところが日銀は内外の情報提供者として自らの魅力を熟知しており、これを使ってメディアを利用、操作しようとする。

このメカニズムが一番よくわかるのが、記者クラブというシステムだ。日本では記者クラブの前身は戦前からあったが、現在のようなシステムは、もともとなち・ドイツでヨーゼフ・ゲッベルスが、効果的にしかも国民の抗議を呼ばないように隠微に民間メディアを操作し、ジャーナリストに影響を及ぼすために始めたもので、次のように機能する。ある機関を取材し、記者会見やブリーフィングなどに参加したいと考えるジャーナリストは、その機関の「記者クラブ」加入を申請しなければならない。この方法はまずドイツ帝国政府の記者会見から始まった。

日本の官僚は戦時中に同盟国のドイツから影響を受けてこのシステムを導入した。

ゲッベルスは次のように説明した。

あなた方は明らかに偏った報道を恐れる必要はない。この世に偏っていないことなど、ありはしない。偏りのないことはセックスレスであり、したがって価値がない。認識されていようと、隠されていようと、全てに偏りがある。私に言わせれば、偏りを隠すよりは認める方がよろしい。絶対的な客観性はありえない。今という時代の形成に寄与する現代人として、自分自身がどのような見解を持つかだけでなく、書く記事によってその見解を数百人、数千人に伝えるという意味で、誰もが巨大な重い責任を担っている。

日銀とメディアの「友好」関係

中央銀行が経済に中心的な役割を果たし、重要な経済・金融情報を独占を享受していることを考えれば、経済ジャーナリストが中央銀行の記者クラブに入りたがり、メンバーになれればそのシステムを継続させたいと思うことは容易に理解できる。長いあいだ日銀の記者クラブのメンバーだった大勢の人たちがこのシステムに多大の恩恵をこうむり、その結果としてそれぞれの新聞社やメディア組織で頭角をあらわしている。

さらに目立つのは、1990年代に日銀の長年の仇敵だった大蔵省で多くのスキャンダルが明るみに出たことだ。日銀は大蔵省に詳しいし、古い大蔵省をつぶし、その権力を剥ぎ落として日銀の独立を果たしたいというのは日銀の長年の目標でもあった。

報道関係者と日銀の友好関係は、料亭や日銀所有の施設におけるさまざまな社交行事や夕食会によっても強化されてきた。このような構造であれば、多くのジャーナリストが、日銀によって具合の悪い批判的な報道をして関係を悪化させるのはまずいと考えるのは明らかだ。「信頼のサークル」から排除されるという脅威は並大抵ではない。それにルール通りに動かない若手ジャーナリストは、上司との関係が悪くなるだろう。上司である彼らがスピード出世できたのも日銀からの情報の流れに支えられたことが役に立ったからで、上司たちへの日銀幹部からの二言三言は、若くて「未経験な」ジャーナリストから噴出したはずの批判を沈静化させるメカニズムとして作用するはずだ。

明らかに日銀のメディアへの触手は非常に広い範囲に伸びているらしい。

この結果、ジャーナリストたちの手によって日銀を守る沈黙の壁が築かれてきた。客観的で批判的なジャーナリズムと専門職としての倫理はどうなったのか・・・。

3 マネーが政財界を動かす

日銀と経済同友会

もうひとつ、日銀のプリンスが権力をふるうもっと直接的な方法がある。

ジャーナリストといえどもほとんどは企業の社員にすぎない。上司が禁ずれば福井を批判することはできない。そして、これらの上司が心配するのは大株主がどう考えるかであり、マスメディアの主要な収入源が何を望むかである。ではそのビッグビジネスのボスの最有力候補は誰か?大企業の幹部の組織である経済同友会は、つねに福井俊彦に好意的だった。これは以外でもなんでもない。彼自身がその幹部の一人だからである。しかも彼の死である元日銀プリンスたちは全員が経済同友会の上級メンバーだったのだ。

小泉は日銀プリンスの操り人形

政治家でさえも中央銀行のプリンスたちに率いられた日本の「ビッグ・ビジネスと金融の複合体」を無視できないことは、驚くにはあたらない。マネーがあれば、支持を買える。援助者やスタッフを雇える。何よりも、マネーがあればメディアの支持も獲得できる。政治家が批判も質問のなしに異口同音に福井総裁の任命に賛同したのは、それほど不思議ではない。小泉が提唱する徹底した構造改革が人々の耳に聞き入れられたのも、日本の景気低迷が10年に及んだからだった。だがその景気低迷は日銀によって人工的につくられたものだった。それだけでなく、小泉のアイデア自体が新しいものではない。「構造改革なくして景気回復なし」という文句は、ほとんどそっくり前川レポートから拝借してきたものだが、前川レポートは日銀のプリンスたち、前川春雄と三重野泰が作成した政策文書で、日本の戦後経済構造の解体を求めていた。したがって小泉は、日銀プリンスとその後継者が演じるマネーゲームの操り人形だということになる。そうであれば、小泉が福井を任命せざるを得なかったのも不思議ではない。

4 企業安楽死計画

日銀の略奪的融資の総仕上げ

ハゲタカファンドが最大の利益を上げるために望むのは大型倒産だ。大型倒産で少数の専門家チームが巨額の利益を生み出すことなのである。10年に及ぶ日銀不況にもかかわらず、日本のシステムは持ちこたえており、日銀とその友人たちのハゲタカ・ファンドをがっかりさせている。

ここで、「ドクター・デス」木村剛の企業安楽死計画が登場する。

略奪的融資とは、高利、あるいは高利のうえに、相手にとってマイホームなどの資産はあっても返済能力がないことを承知で融資することだ。略奪的融資の目的は過大な(通常は元金の何倍もの)返済額を引き出すことだけではなく、同時に担保実行を強制して資産を奪うことである。言い換えれば誰かの資産を略奪することが目的で、融資はそのための手段なのだ。

不安を増す市場

これだけではまた足りないというように、木村は昨年(2002年)9月、もう一つの輝かしい銀行危機解決プランを提案して識者を驚かせた。今まで銀行は繰り延べ税金資産を(原則として現金が支払い済みなので)中核的自己資本に算入することを認められていた。木村はこの方法を禁ずるべきであると言う。なぜか?これを禁止すれば銀行の資本状況はさらに悪化し、銀行危機と経済危機がさらに進行する。この時点で、自民党の政治家が阻止に立ち上がった。木村の「問題解決」に任せておいては景気回復はありえないと気づいたのだ。そこで、自民党の政治家は木村の不良債権問題「解決」プランを阻んだ。このために不確実性がさらに増大して、市場は不安に陥った。

5 時価会計の導入がもたらす悪影響

時価会計をめぐる論争

会計ルールの変更という差し障りのなさそうな改革も、長期的に見れば日本経済にとって非常に重要な意味を持つ政策である。しかも残念ながら、その影響はほぼマイナスに働く。

会計規則の変更がマクロ経済に意図せざるマイナスの影響を及ぼしかねない、という自民党の指摘は重要である。

時価会計は虚構を生む

時価会計は、市場がたまたま期末日に示した価値を用いて企業のバランスシートを計算することで、企業会計の透明性を高めるとされている。期末日は一年に一回か二回、多くても4回だけだから、この日に市場が突然または一時的に変動した場合(最近の市場のボラティリティ=広義には資産価格の変動の激しさを表すパラメータが異常に高いことを考えると、その可能性は大きい)、透明性を高めるというより会計をゆがめるものになる。

第二に、資産の時価評価がその資産に対する企業の見方を反映するかどうか、定かではない。資産の市場価値の変動性が高いことは企業も充分に承知しているだろうが、企業側からすれば、資産に関して議論の余地のない情報が一つある。取得価格だ。取得価格が重要なのは、実際の取引と経済活動を反映するからである。「市場価値」というのは、純粋に架空の価値なのだ。したがって透明性を高めるどころか、会計の中の「虚構」の部分が増えることになる。

「市場価値」とは特定日の特定の取引から導き出された価値にすぎないということを忘れてはならない。厳密に言えば、その日にその価値で実際に取引されなかったあらゆる資産にまで同じ価値を適用しようというのは、想定として間違っている。

ここまでは有価証券の話だ。しかし、企業の帳簿に計上された資産には市場が存在しない場合が多い。この場合、会計士はいわゆる正味現在価値を用いて理論値を推定する。理論値は金利、経済成長率、資産市場などに関する想定に決定的に依存しているため、架空の部分が一段と大きくなる。この分野における予測者の悲惨な実績を考えれば、このような想定にもとづいて企業会計がおこなわれるべきだとまじめな会計士が望むのは驚くべきことだというほかはない。

マクロ経済への悪影響

さらにマクロ経済に巨大なコストがかかる。すべての企業は頻繁にバランスシートの再計算をせざるを得なくなり、計算日の金融市場の状況が、企業が引き続き「健全」か、会計上「破綻」しているかを決定することになる。簿価会計は市場の変動性をある程度緩和する傾向があるが、新ルールは変動性を高めるだけである。

会計規則の変更は銀行部門の問題を拡大する可能性が高い。銀行が融資を縮小するため、経済成長率が低下し、次いで資産価値が下落する。

こんなふうにすべてのものを架空の市場価値に洗い直すのは理にかなっているだろうか?時価会計に潜在的は利点があったとしても、ミクロレベルではこれを打ち消すほどの問題があるという結論が出る。マクロレベルではその欠点ははるかに大きくなるだろう。

世界経済はこの新ルールがなくても何世紀にもわたってやってきた。新ルールが何かを改善するという証拠はどこにもない。それどころか、デメリットとなる可能性が高い。自民党の政治家がこうした新会計規則の導入に待ったをかけようとしていることに拍手を送るべきである。

6 外国のマネーは日本経済の助けにならない

政府は外資を入れたがっている

小泉純一郎首相のもとで、外国の投資家は日本で以前にもまして歓迎されるようになった。しかも日本企業の買収、つまり外国のハゲタカ・ファンドによる買い叩きはこの数年、相当に増加している。

これは偶然ではなく、日本の資産の外国人所有分を増やそうという、政府が公式に表明した計画の一部なのだ。

精力的な規制緩和と対外直接投資誘致を目的とした公的プログラムのおかげで、日本に流れ込む外国のマネーはますます勢いを増した。

これらの事実を考えると、日本人の誰もがこう尋ねたくなるのではないか。どうして、日本政府は記録的な財政赤字に苦しみ、山のような公的債務を抱えているというのに、納税者のたいせつな金を使って、もっと多くの外国人投資家を誘い込もうとするのか?まず考えられるのは、財政赤字を埋めるため、ということだろう。だが、そうではなさそうだ。

それでは、公式に外国人投資の増加を望む理由がほかにあるのか?

外国からの投資には何のメリットもない

経済成長と雇用には外国からの直接投資が必要だという主張は、ちょっと聞くともっともらしい。

日本は外国のマネーを必要としていない。だいたいドルがあふれかえっているのだから。

それでは、日本経済を活気づけるために外国のマネーが必要だ、というのはどういう意味なのか?全くのナンセンスである。日本の不況は外国のマネーがひきあげられたから起こったのではない。それどころか、外国の投資と日本経済のパフォーマンスとの唯一の関係は、デフレが進み、日本経済のパフォーマンスが悪化した過去十年、外国からの直接投資は増加した、ということだけだ。

だが、外国からの投資は新しいマネーをもたらすのではないか?そうではない。そうだと主張するエコノミストには、日本での取引の大半はあいかわらず円でおこなわれていることを指摘してやるべきだろう。したがって、対日直接投資で新しいマネーがもたらされるわけではない。

だが、FDI(対外直接投資)はとにかく新たな雇用を生みだすのではないか?現在のFDIは大半が、すでに存在する企業の買収というかたちをとっている。通常、新しい外国人所有者がまっさきにすることは「合理化」と「企業効率の改善」である。これは例外なく社員の解雇を意味する。

しかし、対日直接投資は新しいテクノロジーの日本への移転を意味するはずではないか?現在のような悲惨な日本経済の状況では、優れたテクノロジーを持つ日本企業の多くが破産の瀬戸際に追い込まれて、日本企業の技術的資産を剥ぎ取ろう、あるいは日本経済における市場シェアを奪おうと虎視眈々としている外国の略奪者の主たるターゲットになっている。

だが、外国からの直接投資に何のメリットもないとしても、急激に増えたからといって心配する必要もないのではないか?FDIへの不安はただの排外主義から生まれたもので、経済は「資本に国籍はない」ことを証明しているのではないか?ところが、そうではない。外国企業は外国の株主のために運営されている。

現実はこうである。外国からの直接投資は経済発展の必要条件でも十分条件でもない。日本が世界第二の経済大国に急成長したことと、外国からの投資とは何の関係もなかった。したがって、小泉政権が対日直接投資誘致のために使った税金には、もっとほかの、たとえば政府債務の削減といった賢明な使い道があったはずなのである。

7 日本経済を再活性化する四つの政策

景気回復の即効薬

8 景気回復は早いだろう

福井が描くシナリオ

必要なのは日銀法改正

Ⅱ セントラル・バンカーが世界を動かす

9 ヨーロッパに出現した巨大な権力

中央銀行は間違いを犯さないか

2001年以来のドイツの景気後退

ドイツ・マルクの終焉

優先される政治

少数者に集中する権力

10 欧州中央銀行の独立性がこれほど高いわけ

インフレを抑えるために

低インフレ率だけがものさしではない

独立性は優れた政策を保証しない

11 ライヒスバンクも政府から独立していた

民主主義体制を侵したライヒスバンク

テクノクラート全体主義の危険

12 ブンデスバンク成功の鍵

限られた独立性

多面的な説明責任

13 ライヒスバンク復活の悪夢

説明責任を持たない欧州中央銀行

蘇るライヒスバンク

日本銀行とヒャルマール・シャハト

金融政策の枠をはみ出す

14 ドイツ・日本流の資本主義を破壊せよ

低成長はシステムのせいか?

アメリカのドイツ・日本モデル破壊計画

開発途上国を未開発にしておくことが目標

15 中央銀行について何をすべきか

中央銀行の権力の濫用

日本の教訓

あとがき